【ホロライブコラム@星街すいせい】06-039《星街ぃーー????SEッ☆ちゅ~しよ!????》include:宝鐘マリン/さくらみこ/出力300が限界の女/「2500」の最適解/「自由な仕事」の「自由」の意味/「観る」だけでは飽き足らなかった彼女らは/「創る」事を志し/「至高の権利」を賜った/強さを勘違いした「エゴイスト」/自由をはき違えた「ピエロ」/この時代に留まれ星街/「究極の創作活動」/すいちゃんはどうしようもない。

VTuber




VTuberの「自由」の定義

✔ ここまでを見れば分かる通り、星街の仕事はやはりどこまでも《自分》と【リスナー】のどちらか一方だけを立てもう片方を完全に殺す『片手落ち方式』だ。星街の全てのプレミ、全ての不振の根底にはいつも必ずこの『片手落ち方式』により身の振り方を決めた経緯が存在していて、逆に成功の陰にはいつもそこまで星街を導いた誰かの存在がある。

《自分》と【リスナー】の双方に仮に「100」という値を割り振った場合、どちらかを100通しもう片方を0として扱う『片手落ち方式』を使えばその仕事の出来高はいつも「100」になる。星街は他のライバーより単体での出力が高めなので仮に「250~300」ぐらいの値を割り振ってもいいが、それでも常に『片手落ち』で活動を推し進めている星街の仕事の出来高の最大値は《自分》を通し【リスナー】を完全無視した場合の「250~300」が限界だ。

星街と同格以上のホロメン達のほとんどはいつも《自分》と【リスナー】の双方から「50」ずつを取って掛け合わせる『折衷方式』を活動に用いる訳だが、その最大値は「2500」になる。宝鐘を例に取れば本当に星街とそのくらいの差を叩き出していて分かり易いが、さくらみこぐらいの《自分》側に弱々しい「50」しか用意出来ないような凡才でもそれを用いる事で配信活動に関しては星街の遥か上を行っている。《ライバー単体》の出力値でしか勝負出来ないところが『片手落ち方式』の限界で、《ライバー》×【リスナー】の掛け合わせによりそれとは比べ物にならない出力の新出事項を次々と生み出せるのが『折衷方式』の強味という事だ。───『折衷方式』は《自分》と【リスナー】を綺麗に半々ずつに分けるため整った精神を以って丁寧な手入れを行う必要がある。何せその配分が《25》対【75】、《90》対【10】のように偏ってしまうと解が最大化されない(《25》×【75】=1875<2500、《90》×【10】=900<2500)のだから。

ホロライブの上位に位置するホロメン達の中で唯一『折衷方式』を用いていないのが①歌の力で売れていて➁配信面は弱々で、③度を超してKYなプレミを一人だけ連発している星街だけである事を見ても分かる通りライバーが活動上用いるべきなのは『折衷方式』一択で、それは彼女達にとって活動上課せられた最早義務であると言っていい。「自由な職」の代名詞みたいなライバー業だが、その「自由」は「活動に折衷方式を用いるか否か」ではなく「用いた上でどの折衷点を取るか」だ。そこがこの職における「自由」の本当の定義だし、またそのライバーにとっての「腕やセンスの見せどころ」でもあり「ブランディング」でもあると言えるだろう。


✔ 4:04~ リスナーからの「マリン、結婚してくれ」に対して決まって返す「その程度で求婚とかしてこないでよ!」の例の定型文。これは《リスナーからの求婚とかマジ面倒なだけ》という宝鐘の本音と【この程度だったらセクハラも許されるだろう?なぁマリン】というリスナーからの需要を『折衷』させて生み出したものなのだが、リスナーに気を遣い過ぎたのか歯切れが悪く洗練されていないきらいがあり、正直宝鐘にしてはあまり上手い方ではない。

これなら例えば代わりにあの面白声で求婚コメが来る度に「イ゛!!ヤ゛!!」と吠えるだとかすると歯切れが良くて面白いかも知れないし、「年収が自分以下な男とか無理なんですよ」という(今用いているものとは違って)リスナー全員を切りつけるタイプの婉曲断りもいいかも知れない。「子供は興味あるけど結婚願望とかはないし旦那は正直邪魔なだけ」という本音を話すのもありかも知れないし、また処理に困るようならその手のコメントは「読まない」という手もある。

今用いている定型も含めどれも《自分の本音》と【リスナーにとっての視聴心地】を両立させた『折衷方式』だが、ここから分かるのは『折衷方式』により突き合わされた両者が触れている場所は「点」ではなく「面」になっているという事で、選択肢はその面の上に並列で並ぶ形で無数に存在しているという事。そのうちのどれを取るかというのがそのライバーのセンスの見せどころだし、またこの自由な職における「自由」の定義でもある。


「究極の創作活動」

✔ 創作物の面白味は「観る側」から「創る側」へ回った時に最大化される、とはよく言われる。アニメ作品にしても声優業にしても歌にしてもダンスにしても、ゲームや雑談配信にしても「観る」だけでは飽き足らなくなり倍率何千倍という選考に立ち向かってまで「創る側」に回ったのが正にホロメンで、「観る側」である我々がその楽し気で前向きな活動姿勢に惹かれている今のこの構図こそが「観る側」<「創る側」の法則を証明している。

「創作物の面白味」に関しては「創る側」より更に上のカテゴリーがあって、それは「皆で創って皆で楽しむ」だ。なかなかない状況だが、例えば最大限纏まった中学・高校のクラスで行う文化祭での演劇等がそれに当たる。Vを観ているような人だとピンとこない例かも知れないがそれはクラスの「纏まり」「皆」の中に自分が入れていなかったからで、その枠の中に収まっていた人間にとって仲間達と製作過程を共にし思い入れと全肯定の気持ちを共有しながら当日本番・鑑賞までもを共にした「創作」は只々楽しいばかりで、その思い出は生涯に渡り掛け値なしのプライスレスになる。

受け手側とのリアルタイムでの相互コミュニケーションにより「皆で創って皆で楽しむ」を最も高精度で実現出来るVライバーの配信業は、だからこそ今エンタメのトップに君臨している。リスナーと向き合う事を厭う動画勢には出来ない、テレビだともっと出来ない、映画や音楽なら望むべくもない、そんな究極の創作活動に着手する権利をVライバーは皆賜っている。寧ろその権利を行使するためにある職業だと言ってもいい程だが、やはりその向きが強いライバー程活動の質が良く、成績も良好だ。

「観る側」から「創る側」へと回る事でエンタメ関係者としての格を上げたホロメン達だが、その先に進むために必要なのはまず間違いなく「創る側」から「《究極の創作活動》を先導する《旗手》」へと更に変化を遂げる事だ。そのために必要な「受け手側とのリアルタイムにして密な相互コミュニケーション」を行う権利を得ていてそれを高精度かつ高頻度で行う者こそ図ったように成績を上げ将来性を盛り続けている今のこの状況こそがその可能性を示唆している。


この時代に留まれ星街

✔ 高精度にして高頻度な『折衷方式』により「皆で創って皆で楽しむ」権利を業界一行使しているさくらみこはこの界隈において紛う事なき「創作人クリエイター」だが、ではそれと完全に相反する活動スタイルを貫く星街は何と呼べばいいのだろうと考えると、ここは「傲慢なクズエゴイスト」だとか「道化ピエロ」とでも呼ぶのが妥当だろう。

「ライバーとしての強さ」=「リスナーを叩き潰す事」「自分本位に振る舞う事」だと勘違いしている事から「傲慢なクズエゴイスト」、「自由な職」という前書きに踊らされ本当にその意味のまま自由に振る舞い醜態を積み重ねる滑稽な様は正に「道化ピエロ」………間違いない、強さを勘違いした「傲慢なクズエゴイスト」で自由をはき違えた「道化ピエロ」、それが星街の正体だ。

生まれ持った稀有な才能を以て業界への「先行逃げ切り」の利も存分に活かしながら業界で指折りのVにまで成り上がった星街だが、どうやらそれもここまでのようだ。V最大の強みである受け手側との相互コミュニケーションを寧ろ煩わしいと取り創作活動の究極形に着手出来る権利を前にしても「我が通せるかどうか」から論軸を動かせないVに出来る事はここから先の環境には一つも残っておらず、また星街自身の今後の活動上にも一切存在していない。星街がここから先に進むためには本当の意味での「強さ」ともっと有意義な「自由」が必要だが、星街という人間はそういう本質に触れながら生きられる形をしていない。


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