【ホロライブレビュー.04】B-17《怪物装備-③》include:天音かなた/有吉弘行/マツコ・デラックス

VTuber


この記事の概要

✔ 上手の成功者からその特長を盗みたい場合、重要なのは「自分と共通しているタイプかどうか」。天音と共通するタイプの人間はホロライブにはおらず、テレビ地上波の分野にまで視野を広げる必要があるのであった……

正当進化を遂げたい場合、「伸ばす所」「直す所」「放置する所」の分別が重要。既にそれをやり終えた先達がいるなら参考にする以外手はないよね、そんな批評記事。




稀有なタイプ

✔ 前記事までに書いた通り、ホロライブトップ層達の特長は他の誰かには盗めない。それはデビュー以来数年の年月で彼女達が自分の適性を元にして、リスナーや同僚の反応を元にトライアンドエラーを繰り返して自分用にチューンナップした、彼女達にしか使用できないこの世でたった一つの「怪物装備」だ。いくら頑張っても天音がそれをコピーする事は出来ないし、仮にコピーできたとしても結局役には立たない。

VTuberのような自由業において、「上手の成功例からいい所を盗む」事は目に見えた効果を期待出来る鉄板努力だが、「具体的に盗むモノ」は何でもいいわけではない。天音が今回「上手の誰か」から盗むべきだったのは彼女達が試行錯誤の末手に入れた目を引く特長ではなく、それを手に入れた過程の方だった。前記事までに挙げた四つの「怪物装備」を携えた、四人の怪物達は皆初手から生来自分に備わっていた才能を出発点として「怪物装備」得とくの旅を始めている。道標は「リスナーの反応」「同僚の反応」だったりする訳だが、「①自分を否定する所から全てを始めて」「➁全ての人を脅威と見做して生きている」天音には難しい道筋だ。だから天音はこの旅を始める時にも、道を進む途中でも自分の「生まれ」と戦わなければならない。自分を殺す事に命を懸けて来た人間が本当の自分を見失わないようにするのはとても根気のいる作業だが、それでもこれ以外通れる道は他に無い。

「上手の成功例からいい所を盗む」事でもう一つ重要なのが「誰から盗むか」だ。「いい所を盗む」上手の対象はもちろんこちらと似通っている人物がいい。前記事までに挙げた四人の怪物達は天音とは余りに違うタイプの人間達で、四人全員と天音で決定的に違うのは「自己肯定感の高低」だ。アイドルはもちろん芸能職は全体的に自己肯定感の高い自分大好き人間が勢力を伸ばしていくもので、「自己肯定感低」&「文化系陰キャ」の形をした天音と同類のタレントは芸能界全体で見ても稀少で、ホロライブどころか事務所外のライバーの中にも今の所居ない。天音が参考にしてその長所を盗めるようなVTuberはまだどこにも存在していない事になる。

しかし芸能界全体で見れば「自己肯定感低」&「文化系陰キャ」の内面を持っていながら大きく成功した例というのはある。天音がタレントとして特化していきたい場合参考にすべきは今の所彼ら一択になるだろう。


おさんぽクソ野郎と多様性のマルチデパート

✔ 有吉弘行とマツコ・デラックスのかりそめ天国コンビ。厳しい幼少期を過ごして自己肯定感の低い人間に育ち、自分が定まらず不遇の若者時代を過ごして30代で遅咲き的に売れた、実はとてもよく似た軌跡を描いて出会った二人。「自己肯定感低」&「文化系陰キャ」の内面を持った上で芸能職に就き、今一番成功しているのはこの二人だろう。

ゴールデンに移ってからは情報重視で薄味な番組に成り代わったようだが深夜時代のこの番組は社会の片隅でひっそりと生きる陰キャから送られてきた仄暗いお便りを、まだ鬱々として尖っていた頃の二人が捌いていく陰キャの、陰キャによる陰キャのため番組で、当時日本で一番の「自己肯定感低」&「文化系陰キャ」の拠り所だった事だろう。非常に似た者同士な二人だが、具体的な共通点は次の通り。


【①.自分殺しの極致】
✔ 芸能職の人間にありがちな自己顕示「欲」や見栄、プライド等がこの二人には全く無い。ずっと観ていれば分かる事だが二人がやっている事は視聴者と製作スタッフ、共演者が自分に求める事を仕事に入る前に明確化し、その全てを均等に立てる形の立ち回りを淡々とやっていく事だけで、その際混ぜる「自分」はほんのエッセンス程度、必要に応じてごくわずかに小出しにするのみだ。自分大好き人間が我がが我ががと自分を前に押し出して成功するパターンがほとんどの芸能界で余りに異質なやり方だが、これは幼い頃から自分を殺す事が習慣化していた人間にしか、つまり天音と同類の人間にしか選べないスタイルだ。自分を抑え込む力は二人と天音でほとんど違いが無いように思えるが、明らかに違うのは自分の周囲全方位からのニーズを正確に把握する力だろう。天音は自分を知っている全ての人間が自分に何を求めているかを明確にする事が明らかに出来ていない。

厳しい親に育てられた二人はやはり天音と同じく過剰な気遣い屋だが、天音のように所属している領域全体に「気遣い屋キャラ」として定着したりはしてない。そういう性質がバレていない訳ではないのだがあえて厚かましく振る舞うだとか、本当は有りもしない我を押し通して十分量の迷惑をかける事で「気遣い屋」「優しくていい人過ぎる」自分の属性を相殺してバランスをとっている。要は「あの人気遣う人だから」という形で「周りに気を遣わせる事」を未然に避ける為に自分のキャラ自体に改変を加えるさらに上の次元の「気遣い」をしていて、彼らにとってはそこも仕事の一部の判定になっているのだろう。ゾッとする程ややこしい生き方だが、これは間違いなく天音の正当進化形態だ。沙花叉や宝鐘、雪花等が自分を腐した時に「っじゃけんな!」と一応反撃したフリだけしてバランスを取ろうとするアレが正にそうだが、やるならお二人を見習ってちゃんとやれや小娘、といったところ。


【➁.知的で毒舌】
✔ そもそもは行き過ぎた「毒舌」のキャラ付けで売れた二人だが、この二人はプライベートでは「良い人過ぎて損するタイプ」だ。収録で女子タレントを人格否定気味に詰めていく有吉はプライベートで彼女達から相談を受けると何時間でも聞き役に徹してしまい、マツコはヘラっている人の相談を受ける事が生き甲斐のようで、元々自己肯定感の低い人間はどこまでいってもこの手の救済行為がやめられないらしい。宝鐘から愚痴聞き専門のSiriのように扱われて満足気な天音だが、この仕事で成功しようが失敗しようが、いくつ歳をとろうがこの手のメンター行為はやめられないままだろう。

「メンター行為」というボランティア活動をプライベートの時間を削ってまで買って出る人間は漏れなく根が優しい「だけ」の人な訳だが、それでは出役として人前に立つ時に不足過ぎる。テレビ地上波のバラエティ番組でもVTuberの配信でも人を攻撃する事で生まれる笑いが果たす役割は大きく、優しい「だけ」の人間はこの点大きく後れを取ってしまう。芸能職で優しい「だけ」の人間=自己肯定感の低い人間が際立って少ないのはこの為だろう。「【いい人】は芸能界では売れない」は古くからの通説だし、ホロライブで売れているライバーの上位層は全員「攻撃する事に長けている」か「攻撃されて輝く」のどちらかの属性を必ず持っている。

テレビ地上波のバラエティ番組ではタレントがタレントを攻撃する動きを「イジり」と呼ぶがV界には「虐」という言葉がある。人に優しくしていなければ死んでしまう病気にかかっている自己肯定感の低い人間達は自然体のままだとこの動きが全くできず、「虐」が出来ない天音はだから面白くなくて成績を落としている訳なのだが、プロ意識の強い二人は「毒舌」という手段を選んでいる。自然界でも総じて当てはまるルールだが、「毒」を持つ生物は総じて弱い。「毒舌」は芸能界という過酷な環境を生き抜く為に「優し過ぎる」という弱さを抱えた二人が後付けで設えた100%人工の武器だ。

「人を攻撃する機能を元来持ち合わせていない」という事は「正しい力加減でそれを行えない」という事でもある。「毒舌」は仕掛ける相手や力加減を間違うと収録現場を壊し相手・共演者・製作スタッフ、そして視聴者全てとの信頼関係を損なう諸刃の剣で、だからこそ人一倍頭を回し続けてクレバーに立ち回る必要があり、どちら共に知的な趣があるのはその為だ。頭を回して経験を積む事で精度が上がっていく「毒舌」を主武器にしていた為どちら共が遅咲きであるという共通点もある。人を攻撃する機能の全てを剥ぎ取られているタイプの人間がそうでない人間達と「イジり」「虐」を用いて対等に渡り合っていく方法は現状「毒」以外に存在しない。

ホロライブで「虐」が出来ない事はそのまま死に直結する訳だが、天音はそれが全く分かっていない。特大のみこ虐企画で「ほちまち~///」とぶりっ子をかましていた天音は「毒」を用いて「虐」が行えないハンデ、名付けて「虐不全」を解消する努力が全く出来ていない。


【③.「友情」が何だか分からない】
✔ 二人にはプライベートで付き合う友達がいない。食事に行くだとか連絡を取り合う仲の相手は皆現行の出演番組で繋がっている人間ばかりで、恐らく二人が職務の一部と認識しているその関わりも出演番組が終われば途絶えるだろう。

自己肯定感の低い人間にとって他の人間とは「寄り添って支え合う対象」ではなく「対峙して処理すべき課題」だ。努めて自然に、適切な力加減で対処して好反応を貰えればそれだけ「人間」に近付ける、自分も「人間」なんだと安心出来る、「まず人間になれ」という親の教えを守る事が出来る、その為の課題でしかない。

二人は天音の正当進化版だが、これだけ成熟しても「他人と自然に寄り添い合って友達になる」という子供の頃に失った、人としての基本的な機能を回復させられていない。つまり自己肯定感の低い人間に生まれて人と交わる機能を損なった場合、一生かかってもそれを回復させる事は出来ないという事だ。

まだ若い天音は自分のその運命を知らない。日毎極まる人間関係からのあぶれを解消する為に天音はその点秀でたホロメン達を必死で真似ている。無い手で物を手繰るように、閉じた目で光を探すように、「まず人間になれ」という親の教えに従って。

人と友情で結ばれる事の出来ない二人だが、その周囲には人が絶えない。先輩に可愛がられ同輩に尊敬され、後輩に頼られる理由は「堅実な仕事ぶりと実直な人間性によって勝ち得た信頼」だ。「向こうから来てくれた人としか繋がれない」はやはり二人も天音と同じだが、元来の実直な人間性に堅実な仕事ぶりを上乗せる事で「向こうから来させる」事に成功してる。ホロメンとも、桐生とさえも、恐らく人生で一度も「自分から行って人間関係を作る」事をしたことがない天音にも「堅実な仕事ぶり」を実現する事で、「友情」を頼る事なく広々とした人間関係を構築出来る可能性がここにある。


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