【ホロ些事!@都民ホロメン】vol.03-page.30《百鬼あやめも都民ホロメン(1/9)》include:百鬼あやめ/×「スベり芸」は免罪符/〇「スベり芸」は言い訳/言い訳してでもダジャレが言いたい/ダジャレを言ってる余はかわ余?/都民ライバー

VTuber




「言い訳してでもダジャレが言いたい」

✔ ダジャレが好きな百鬼。この切り抜きでは「タワー行ってんのかと思っタワー(0:18~)」と「フェイド(ヴァロのキャラ)がフェードアウト(1:41~)」の二つを立て続けに発射。

Vを見ていればここでの百鬼と同じように「スベリ芸」の前提を免罪符に嬉々としてダジャレを撃つVを見かける機会もままあると思うがその九割方は百鬼と同じ東京都民、あとの一割は不知火みたいなこれの他には声芸ぐらいしか出来ない低次脳機能者かのどちらかだ。

似た音の組み合わせを見つけるや流れも何もかも無視して口に出し、後は笑っていればいいだけの「ダジャレ」は芸としてもちろん程度が低く、それをボケの軸として扱うタレントの程度もやはり低い。

「ダジャレ」には「スベり芸」の前提を常に用意する彼女達だが、それはどちらかと言えば「前提」ではなく「言い訳」に近い。センスが無くスキルも同様に無く、それを育てる努力すらやる気になれない無能な自分がその場に居る共演者に迷惑をかけリスナーの時間を奪うだけの発言をする事で「笑い」の義務を果たした事とするための言い訳だ。

その醜い精神性が反映されてしまうせいか、百鬼のみならずダジャレを使う時の女性Vは全員いつでも必ず女性としての魅力を激しく損なう。ともすれば湊や兎田と似たような形でホロリスに愛でられている百鬼だが上の切り抜きで二つのダジャレを言っているそれぞれの百鬼にそういう形の魅力を感じる人間はさすがにいないだろう。百歩譲ってダジャレを面白いとカテゴライズする人間がいたとしても最たるアイデンティティ「かわ余」を損なってまでダジャレを口にする判断は百鬼に関してはあり得ない。


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