【 シン・エヴァンゲリオン劇場版 】- 批判レビュー –

※ネタバレを含みます。

【 今のゆとりはそうじゃない 】

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は主人公が自軍の戦艦に戻るまでの前半と戦闘シーンが多くエヴァらしい世界観が紡ぎ出される後半とで構成されている。見所は後半だと思うのだが前半は庵野監督のアップデート不足とアイデアの枯渇の目立つ残念な出来だったと言わざるを得ない。

TVアニメ版の放送はもう30年近くも前だが、本作でシンジが落ち込んで心を閉ざし、アスカにあんたバカァとなじられる件もレイを悲惨な目に遭わせるのも当時と何ら変わらない。鬱かPTSDでも発症していそうな10代の少年に罵声を浴びせて無理矢理飯を食わせたりするのはこのご時世愛や教育ではなく体罰、虐待である。庵野監督がそれを分かっていないとは思わないし、落ち込むシンジは監督の分身として描かれている節もあるので、アスカがシンジに檄を飛ばすシーンは自分の中の葛藤を投射しての事だと思うが、一般の観客がそこまで読み取ってくれる筈もなく、ただ時代遅れのジジィ監督が自己満で作ったシーンととられてしまった事だろう。

私はむしろTVアニメ版等より無垢で純粋に描かれた、右も左も分からないレイに昔ながらの労働をさせてそれを美的に描くシークエンスの方が気になった。これは庵野監督の恩師である宮崎駿監督が「千と千尋の神隠し(2001)」で主人公千尋に古臭い職場で肉体労働をさせたのと同じ発想で作られている。「千と千尋の~」の公開当時宮崎監督は60歳、現在庵野監督は61歳で男はこのくらいの歳になると孫世代の女の子が汗水垂らして働く姿に萌えるのか、と微妙な気持ちになる。宮崎監督の描く千尋は最後大団円を迎えるからいいが、庵野監督は一歩ずつ健気に成長したレイを最後アレするので一体こいつはどういう癖なんだと腕組みをして考え込んでしまったのは私だけではあるまい。

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落ち込むシンジに対して周りの人間がとる行動もシンジの落ち込んでいる時の態度も、立ち直る時のセリフも全部古臭くて寒々しい気持ちにさせられる。軟弱なクセに我だけは強い、新時代の厄介な若者を見事に描き切った鬼才も今やアップデートをし損ねたおじさんの仲間入りだ。今後彼の描く若者が日常会話を交わすシーンでは常々うすら寒い空気が漂う事だろう。

私には前作「エヴァQ」で世間から叩かれ過ぎた監督が日和ってこの前半部分を作ったように思えてならない。レイの古臭い上にわざとらしいカマトトは到底庵野監督らしくなく、大勢に合わせて作品を作る事の不得意な監督が精一杯世間に媚びて産出したのがこのレイだとすると、何となく合点がいくのだ。

本作は微妙な前半部分に加えて冒頭や後半の戦闘シーンもいまいちパッとせず、新デザインの量産機を工夫のない動きで薙いでいく作業的な戦いや戦闘に参加するキャラクター達の古臭いかけ合いもなかなか退屈だ。特にニューヒロインであるマリの、口調や口癖を含めたキャラデザは10年も前によく見たオタク・サブカル系女子そのままで喋る度に物語への没入を阻害する始末。正体云々はさておき最低限現代の観客に合わせてマイナーチェンジをするべきだったと思うのだが、この辺りも監督がアップデートをし損ねている事の表れだと言える。


→【 シン・エヴァンゲリオン劇場版 批評レビューへ続く】

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