映画批評【ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3】30点 《天才監督が手掛けても猶隠せぬマンネリ感》

映画


【①.ポップでキュートでナンセンスな「ジェームズ・ガンイズム」溢れる世界観】


【①.物語の軸が貧弱。MCUマニアでも最早食い付かない端役キャラにスポットを当てたストーリー】

【➁.前作からほぼ成長・変化していないガーディアンズの面々。マンネリが酷い】

【③.メインヴィランがザコで小物。目新しさも独創性もないキャラ付けで物語が締まらない】

【④.映画終盤の失速が酷い。ギャグは手打ち、ありがちな展開、大袈裟な感動描写】

【⑤.全体的にマンネリ対策が打たれていない。ガーディアンズシリーズは最早限界】




今回もヴィランはやはりザコ

✔ 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」は2023年公開のMCU映画。MCU作品としては32作目、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズとしては3作目の作品になる。前作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス(2017)」との目立った差異は①「インフィニティ・ウォー(2018)」で登場した惑星「ノーウェア」がガーディアンズの本拠地になっている、➁宇宙服を着た超能力犬「コスモ」のメインメンバー化、③兵装をアップデートしてジェネリック・アイアンマンと化したネビュラ、④グルートが成長している、⑤ガーディアンズのメンバークラグリン(演:監督の実弟)がヨンドゥの矢をトサカごと受け継いでいる、等。逆に言えばガーディアンズの構成メンバーにもそのディテール(ビジュアル・能力等)にもそれ以外の変化は無いという事で、この時点でマンネリが濃厚。

MCUの前作品「アントマン&ワスプ:クアントマニア」の記事では「メインヴィランの征服者カーンの格がせいぜいガーディアンズのロナンと同程度で物語が盛り上がらない」と書いたが本作のメインヴィラン「ハイ・エボリューショナリー」はガーディアンズシリーズでも登場したコレクター(演:ベニチオ・デル・トロ)とさも似たりで、多分戦闘力も似たり寄ったりだろう。軽度の重力操作能力を扱うが作中で披露される様子を見ると念動力と区別がつかない。要するにMCUでは親の顔より見たような量産型の能力をフワっとしか使わない凡庸なザコが本作のメインヴィラン「ハイ・エボリューショナリー」で、志すのも「自分でブリードした新種族を集めて完璧な新世界を作る」というやはりうんざりする程凡庸な野望、「ヴィランがしょうもないから映画自体が締まらない・盛り上がらない」というテーゼはMCU前作の「クアントマニア」から引き続き健在だが、ハイエボリューショナリーのいいところはクアントマニアのカーンと違って恐らく今後のMCU作品にもう二度と登場しない事だ。厚かましくも無限増殖を行いぐだぐだと今後のMCUに長く居座る気満々のカーンと比べるとずっと気持ちのいいヴィランと言える。


今更ロケットはどうでもいい

✔ 本作が盛り上がらない理由はヴィランがしょうもない事の他にもあって、それは物語の軸、ストーリーが弱過ぎる事だ。本作のストーリーはざっくり言ってしまうと「瀕死の重傷を負ったロケット・ラクーンの治療法を探して宇宙を巡る旅」だが足掛け15年追い続け、フェーズも5に到達した「エンドゲーム(2019)」後のMCUで何でそんなしょぼい話を観せらんなきゃなんないの、何かの罰なの?という話である。アベンジャーズ最弱の一角「ガーディアンズ」とかいうザコ集団の中堅キャラクターが死にかけて立ち直る話なんか別のMCU作品の幕間かメインストーリーの裏側かアニメスピンオフででも片付けろやと言いたい。本作はロケットに焦点を当てたストーリーでロケットのバックボーンの描写にも多大な尺を割いているが本当にどうでもいいし、長くて押しつけがましいだけで面白い部分が一つも無い。簡単に言ってしまうとガーディアンズに参加する前、まだグルートにも出会っていない彼が「トイ・ストーリー(1995)」のシドの部屋にあったような改造おもちゃみたいなのと親交を深めるハートフルストーリーが展開されるのだが、この期に及んでMCUウォッチャーがそんな物を求めると本気で思ってんのかコノヤローという話だ。このパートは監督も製作過程において身が入らなかったようですこぶるキレが悪い。

ジェームズ・ガンのポップでキュートでナンセンスな世界観を攻め攻めのギャグでキレキレに展開していく手腕は相変わらず見事で、本作も終盤手前ぐらいまではそのゴリ押しである程度観れる仕上がりにはなっているのだが、それにしてもストーリーの空虚さと前作までと様変わりしないガーディアンズのマンネリ感は隠しきれていない。「ロケットの治療手段を求めて・若しくは他の理由で敵の本拠地に侵入→モブ兵士達と戦闘」の展開が繰り返されるがそれをやる理由に入り込めない事と芸が無くて代わり映えしないガーディアンズの戦闘スタイルがそそらない事の往復ビンタで本作は序盤から、慢性的にずっとつまらない。

昨今MCU作品は「観客はエンドゲームを既に観ていて感覚が拡大している」という前提を意識しつつ製作する縛りを逃れられない。キャプテンやトニーを始めとした「あの華々しいメンバーが」「あのスケールの大立ち回りを演じた後に」このストーリーを持って来るのはアリかナシか、この映像やプロットは観客に刺激を与えられるのか、そういった自問が必要な訳だが少なくとも本作はその条件から激しく逸脱している。エンドゲームではアイアン・パトリオットの肩に乗っていたイメージしかない、人気もキャラ付けもとっくに固まった出オチキャラ、ロケットなど今更掘り下げて喜ぶMCUファンなどいる筈がない。

例えば「アイアンマン3(2013)」は「アベンジャーズ(2012)」というお祭り超大作の後に公開された作品で言わば「エンドゲームの後に公開された本作」と同じ立場と言えるが、アベンジャーズを当然視聴済みの観客を十二分に楽しませるプロットに溢れている。①トニーというMCU最大手の花形スターを物語の軸に据えて➁アイアンマンとしての新ガジェットもしっかりと用意して「らしさ」を踏襲したまま正当進化を遂げていて、種々多様な自走式アイアンマンも多数登場でファン大歓喜、③ガイ・ピアースという色気ムンムン・オーラバリバリの一目して強キャラなメインヴィランを配置して映画全体を締め、④アーマーの使用法さえ習得してしまえば誰でもなれてしまう「アイアンマン」というヒーローのウィークポイントを突いたストーリー展開でなるほどぐぬぬと唸らせるという会心の出来だ。

参考までにこれと本作を比較してみると①MCUレベルで見た時に花形と言えるヒーローが一人も居ない座組で➁スター・ロードもロケットもグルートもこれといった新機軸を用意されておらず、何の進歩もしていない。あえて言うならスター・ロードとグルートの二人がサイズアップした程度。グルートは上に、スター・ロード…もといクリス・プラットは横に。③視聴途中にすら顔を忘れそうになる華のないメインヴィランを配置していて盛り上がらない。前作「クアントマニア」のカーンとビジュアルが被っているのが猶悪い。④ストーリーは平々凡々で薄味な上ステレオタイプな物で、主人公がガーディアンズである意味もMCUでやる意味もない物。独自性がなく、ファンであっても喜べない。といった具合で本当に酷い。誰の目にも明らかな事かも知れないが「ガーディアンズ」はもう限界だ。ジェームズ・ガンはMCUどころかハリウッド全体で観てもハズレを作らない名監督だがその彼を持ってしてもどうにも出来ない程ガーディアンズはリソースを使い果たしている。

弱過ぎるストーリーとマンネリの集合体である「ガーディアンズ」のつまらなさを本作の中盤過ぎ程までは持ち前の手腕で何とか打ち消し続けた監督だが、映画終盤、丁度グルートが空を舞ったシーン辺りからとうとう心が折れたのか、タッチが明らかに雑になってしまう。ギャグは手打ちで展開はおざなり、やっと終盤、やっと終わる、はよ終われ、こうストレスが溜まるとまたTwitterでやらかしちゃいそう…という監督の心の声が聞こえてきそうな弱々しくグダついた展開はMCU前作「クアントマニア」に勝るとも劣らないつまらなさで、それ以上に痛々しい。ジェームズ・ガンがこんなに苦し気な仕事をしているところを私は初めて見る。終盤が特に酷いが全体を総合してみても本作はこれまで監督が手掛けた「ガーディアンズシリーズ」そしてDCの「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結(2021)」、ついでにそのスピンオフドラマ「ピースメーカー(2022)」、さらには監督が初めて手掛けたヒーロー映画にして奇作にして名作「スーパー!(2010)」そのどれと比較しても圧倒的に出来が悪い。この10年余りで彼が明確な駄作を生み出したのは今回が初めてではないだろうか。


次のハリウッドの流行は「動物愛護」?

✔ 昨今MCUは兎にも角にも「ポリコレ」がてんこ盛りだが、今回もそれはやはり踏襲されていて、それは「不完全」な現存生物を排除して「完全」な種族を創り出し、それ一色の世界を創造する事に執心するハイ・エボリューショナリーに対してある人物が突き付ける「お前は完全を作ろうとしたんじゃなくて《ありのまま》が許せなかっただけだ」というセリフに集約されている。

近々に製作された「Don’t Look Up(2021、Netflix)」つまり「上を見るな(辛いだけだから)」というタイトルそのままのメッセージが込められた作品があったりだとか、社会的弱者の象徴として描かれたキャラクター(大抵女性、最近では有色人種を兼ねる事が多い)が社会的強者として描かれたキャラクター(大抵白人の男性)に対して「引き上げて欲しい訳でもアドバイスして欲しい訳でもない、ただありのままの、今の弱い私を認めて寄り添って欲しいだけ」といった趣旨のメッセージを伝える類のシーンが散見される事等から見て近頃は「弱い立場に居る自分をありのまま受け入れよう」「社会的に上の立場にいる人と自分を比べて卑下するのはやめよう」「弱者が努力するのではなく強者が弱者に寄り添うべき」等といったポリコレ思想が流行中のようだ。これらは全て社会的弱者達に「諦め」を推奨し、またそれを美化する思惑に基づいた物で、アメリカの鬱々とした病的な社会的風潮が今も健在である事、むしろ進行して深刻化している事が知れる。「諦め」を勧める作品が頻繁に製作され、また広くうけるという事はアメリカ国民はのっぴきならない現状に対して「怒り」「努力する」事にも疲れ、負けを認めて受け入れるフェーズに入ったという事だ。耐えて諦めてそれを弱々しく美化し、自分自身の心を誤魔化す事を推奨する…アメリカは本当に悲惨な国になった。宗教狂いの有色人種を筋肉モリモリ、マッチョマンの白人だ!が退治する映画ばかり作っていた能天気な国のなれの果てとは到底信じられない。

そういったポリコレ要素の他にもう一つ重要なメタファーが本作には含まれていて、それは「動物愛護」「動物賛美」だ。元はアライグマであるロケットが物語の軸に据えられている事であったりコスモという犬のキャラクターが活躍するシーンが多数配置してある事に加え純真無垢で可哀想な動物キャラが複数匹登場する事、さらには物語の最終盤には古のディズニーアニメ顔負けの「動物大行進」が描かれていたりで本作はしつこいぐらいに「動物」を押し出している。

2022年に公開された「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」はうっとうしい程に「反捕鯨」を押し付ける作品だったが、これと本作を併せてみると今後「動物愛護」「動物賛美」がハリウッドの主流になる可能性は十分にある。「白人至上主義」「AIの反乱」「クローン」「戦争推進」「戦争反対」「人種差別」「女性賛美」「性的マイノリティー賛美」「男性差別」「白人差別」「有色人種賛美」……一遍ぐらい縛り無しで映画の一本ぐらい作ってみんかいと喝を入れたくなる程連綿と続くハリウッドの「流行り」だが、今後「動物愛護」がそこに軒を連ねるとすれば……まあ勝手にやってくれといったところだろうか。ハリウッドのその時々の「流行り」が含まれていようといまいとよく出来た映画は面白いし、出来の悪い映画は面白くない。目まぐるしく移り行くハリウッドの「流行り」と違ってそれだけはいつの時代も変わらない不文律だ。

前述の「お前は完全を作ろうとしたんじゃなくて《ありのまま》が許せなかっただけだ」というポリコレ台詞にしてもそれを叩きつけられたハイ・エボリューショナリーが「《ありのまま》を許さず」「完璧を求めた」からこそロケット・ラクーンやアダム・ウォーロック、超人的な身体能力を持った子供達等の秀逸な成果が結果として残った訳で、実際このセリフは矛盾の塊みたいな物、メタファーとしてそもそも成立していない。「ありのまま」に甘んじず厳しい努力によって得られる物は殊更多く、その価値は計り知れないという逆説的なメタファーをこの映画は意図せず、何なら本来伝えたかった物より色濃く発信してしまっている。

そもそもこのセリフをハイ・エボリューショナリ―に向けて放っているのがロケットな時点でもうめちゃくちゃだ。お前が今偉そうに説教を垂れている人がお前の説教と真逆の事をしたからお前は生まれたし、その台詞も吐けてるんだよ、ドヤってるところ悪いけど多分指摘するポイントズレてるよ、だいじょぶそ?といったところ。お粗末な映画作りはかような齟齬を往々にして生み出し勝ちだ。

ポリコレ、またはその時々のハリウッドの「流行り」などこの程度の物でいちいち気にする物ではなく、作品の出来に影響を与える事もそれ程ない。その映画がきちんと製作されれば「流行り」はスパイスやエッセンスのような薬になり雑に作られれば粗と突っ込み所をさらに追加する毒となる。一番大事なのは流行り云々ではなくその映画自体が如何に製作されているか、だ。


MCU、依然駄作続き

✔ MCU映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」は「ガーディアンズ」というコンテンツの限界を象徴するかの如くネタ切れとマンネリに溢れた、ジェームズ・ガン監督が手掛けたにしては珍しいレベルのしっかりとした駄作だ。「ガーディアンズ」の前二作を完全に下回る出来栄えで、劇場で視聴する価値は全く無い。

MCUは2021年から1年以上も駄作続きだ。MCUの次回作は「マーベルズ(2023)」だが担当する監督は30代前半のまだ若くて経験の浅い、お世辞にもこれまでの仕事の評判がいいとは言えない人物で、こちらも駄作の線が濃厚だ。

MCUは2025年公開の「アベンジャーズ5」にあたる「ザ・カーン・ダイナスティ」まで劇場で観る程価値のある作品は一本も出ないのかもしれない。これを担当する監督はそれなりに優秀な人物のようだがタイトル的に征服者カーンが物語の軸になっている事は明らかで、非常に気が重い。

多次元宇宙も解放された事だし、今からでもトニーやキャプテン、ブラック・ウィドウが残存するアベンジャーズの世界線の物語を製作しては貰えないものだろうか。エンドゲーム以降延々下がり調子のMCUを見ているとそんな淡い希望を抱いてしまう。


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