→【ホロライブ・アフターライフ】01-04 に続く
世の中は残酷だ
残酷な世の中で唯一絶対の正義は
運だ
えこひいきもない
偏見もない
フェアだ───────トゥーフェイス(映画『ダークナイト』)
✔ 最後は先日壮絶な変死を遂げ世間を大きくザワつかせた女優の遠野なぎこ。天音はもちろん前頁のこっちのけんとよりもはるかにえげつない毒親・AC話を紹介していくのでこのページに関しては閲覧注意の自己責任でお願いします。
女優と言うよりもあのでっかいオ〇マの人と変な髪型のガリガリのおっさんがMCをしていた有名バラエティ番組のレギュラーメンバーとしての印象が誰しも強かったであろう遠野なぎこだが、99年の朝ドラ(=『すずらん』)の主演以降パッとしなかった彼女はその番組へのレギュラー出演開始と共に「毒親被害者であり重度の病気をいくつも抱えつつ生き辛い日々を生きている」ことをカミングアウトし、路線をそちら側に切り替えている。─────世間的には酒豪で荒々しくも(主に恋愛に関して)奔放で、不安定でやっかいな性格をしていて扱いづらくてなんか色んな意味で怖い人、という、VTuber・ネット界隈で言うならみけねこという人に近いような認識のされ方で、所謂「呪物」的な扱いで面白おかしくバラエティでイジられるのがメインだった。
今回の変死を遂げる数年前から彼女に関して話題になっていたのがその「痩せ過ぎな容貌」だ。失礼を重々承知で言わせてもらうならガリッガリにやせ細った上にノーメイクのドアップで撮られた彼女の近影はもう本当にグロくてキツくて見れたもんじゃないのでここにその画像を載せることは差し控えさせてもらうのだが、この「痩せ過ぎな容貌」こそ彼女が抱えるいくつかの重病のうちの一つ『摂食障害』によるものだ。
『摂食障害』とは「極端に食べない(食べたくない)」ことと「極端に食べてしまう」ことを合わせてそう呼ぶのだが、遠野なぎこの場合は「食べた上で」→「自分で意図的に全部吐いてしまう」ことを繰り返す『過食嘔吐』というのが具体的な症状で、ここ数年のご尊顔を拝見すれば分かる通りその度合いは極めて重い。「(病気と)上手く付き合えるようになってきた」「最近かかったクリニックがいい所で貰った薬を飲めば症状をかなり抑えられる」と生前の彼女はインタビュー記事などで語っていたが、それでも何かを切っ掛けに精神が不安定になればこうしてぶり返してしまうようだ。─────色んな画像を検索して年毎にさかのぼって見比べてみると彼女がこうなったのは大体2022年中のことで、その年は「実母(=毒親)の自〇」「それによる長年絶縁状態にあった家族との再会」「レギュラー出演していた(でっかいオ〇マの人の)バラエティ番組の放送終了」等彼女にとって色々と大きな出来事が重なった年。それがこうなったことの直接的な原因なのは明らかだろう。
彼女のACとしての度合い・特徴、またその実母の毒親度・特徴は(前記事の二例に比べて)本当に多種多様なので一旦以下に箇条書きでまとめておく─────重ね重ね、グロい話なので閲覧注意で。
【A.遠野なぎこが受けた毒親被害】
・4人きょうだいの長子にして一人だけ差別的に扱われ、幼少期~16歳(家出をして家族と絶縁した歳)まで種々多様な虐待を受け続ける
・恋愛・不倫・結婚を繰り返す母によりネグレクト(=育児放棄)を受ける
・母のネグレクトによりヤングケアラー(=年下の家族の面倒を見る未成年)化する
・母により交際相手の性器を撮影した写真を見ることや生々しい性の話を聴くことを強要される(性的虐待①)
・母により(母自身の)性器を直接見ることを強要される(性的虐待➁)
・母の交際相手と風呂に入ることを強要される(性的虐待③)(遠野なぎ子はその時既に10代)
・容姿が醜いと幼少期以降終始罵られる
・肥満防止のためにと「吐き方」を教わる(これを機に以後重度の摂食障害を患う)(母もまた摂食障害)
・母の意にそぐわなければ(血がしたたりしばらく止まらなくなる程に)殴られる
【B.以上の虐待により遠野なぎこに表れた症状】
・重度の摂食障害(主に過食嘔吐)(他界するまで長年に渡り通院)
・重度の強迫性障害(自室内の気になる場所を数時間に渡り何百枚もの写真に収める、等)(同上)
・極度の醜形恐怖症(仕事等で必要な際にも鏡を見ることが出来ない)
・希死念慮(複数回の自殺未遂・自傷行為歴あり)
・うつ病
・アルコール依存症
・夜は眠れないことが多く睡眠薬を日常的に服用
・幻聴
・10代の頃の非行
・異常な恋愛欲(出会い・恋愛・結婚を繰り返し結婚に関しては短ければ数週間で離婚する、マッチングアプリを用い1年半で100名以上と出会う、等)
・習慣的な奇行&迷惑行為(飲み屋で度々暴れる、”理解しがたい行動の数々”を理由に事務所を退所になる、等)
✔ 以上だが、簡潔にまとめると遠野なぎこは幼少期より上記【A】のような虐待をシングルマザーだった母親から16歳(家を出て家族と縁を切った歳)まで受け続け、結果【B】のような重度の症状を数々発症し晩年までそれらにより苦しめられ続けた、という話だ。─────彼女に関しては生前こういったテーマに関する本を二冊出版した他にそれ関連のインタビューなんかも度々受けていたりするのだが、そういったものを読むとその子供時代というのは本当に凄惨で、とにかく救いがない。『そもそも(きょうだいの中で一人だけ)愛情を与えず冷遇する』×『ブスだ何だと罵倒しながら時には暴力も振るい精神的・肉体的な攻撃を絶やさない』×『”吐き方”を教える・自分や他人の性器を見せるという異常な行動』といった様々な虐待に晒されながら『3人の弟・妹の日常生活の面倒を全面的に見る』ことまで強いられていた遠野なぎこの子供時代は映画や漫画の世界でたまに見るような絵に描いたような崩壊家庭と同等か、さらにその上を行っている。
例えば、前記事で扱った天音の場合その親は天音に対して【厳し過ぎる律し】【威喝】【理不尽な攻撃的言動】という毒親的行動を繰り返していたし、こっちのけんとの親はその一部に加え【存在価値の否定】【家族の他の誰かと比べ差別的に扱う】といった真っ黒な毒親行為を行っていたわけだが、遠野なぎこの親はそれら全てをその二人を遥かに超える水準でコンプリートした上で重度の【性的虐待】【ネグレクト】【暴力】まで踏襲している。─────これもインタビュー記事を読めばそこはかとなく知れるところだが、「厳し過ぎた」天音の母と「エゴイスト過ぎた」こっちのけんとに対し遠野なぎこの母親は精神バランスを崩し「狂っていた」。天音の母とかこっちのけんとの母なんかだと「お母さんちょっとよろしいですか」「子育てについて少々はき違えておいでですよ」「現代の発達教育学の観点から言えば子育てというものはですね………」といった正論をぶつければある程度話し合いぐらいは出来そうなものだが遠野なぎ子の母に関してそれは絶対に無理だ。「①遠野なぎ子だけを狙った執拗な虐待」→「➁異様な恋愛狂い」→「③”吐き方を教える”、”性器を見せる”といった気持ちの悪過ぎる子供達との関わり方」→「④最後の夫が病死すると即後追い自〇」というその遍歴に論理性やまともさは一切感じられない。
そんな「狂った」母親に育てられた遠野なぎこが発症したACとしての症状は、上記【B】の通り種々多様で、本当に重度だ。
私のような心身共に健康な人間からするとその全て一つ一つが重病だが本人としては[重度の摂食障害]~[希死念慮]までの四つの症状の比重が特に大きかったようで、それら関連の本人が語った具体的なエピソードは本当に凄惨を極める………………のだが、上記【B】のうち太字に青のラインマーカーを引いたものは実母も罹っていてそこから引き継いだもの、になる。─────[重度の摂食障害]に関しては”吐き方”を思春期に差しかかり全体的にふくふくとしてきた遠野なぎこに母親が教えたことを契機に発症したもの、[重度の強迫性障害]に関しては遠野なぎこが16歳の時に家出して以降に「母と全く同じ形で」発症、遠野なぎこは自傷癖に加え公表しているだけで二度の自〇未遂歴があり[希死念慮]もあるのだが母親の死因は「自〇」だった。ついでに言えば母親は子が4人いながら恋愛・不倫・結婚を繰り返す恋愛狂で遠野なぎこはこれに関して「母ではなく女としてしか生きられない人だった」と言っているが結婚・離婚を繰り返しマッチングアプリを用いて1年半で100人超と出会う遠野なぎこも立派な恋愛狂だろう。これに関しては本人が言及したものが見つからなかったので親から受け継いだものだという自覚があったのか無かったのかは分からないが、さらに付け加えるなら母・遠野なぎこ共に結婚歴は「3回」でこれも共通している。
前記事で『親の”毒親度”と子の”AC度”の比例関係』の存在について書いたが、この遠野なぎこの例を見ればそれがいよいよ確信的になってくるところだろう。
『①.天音の親は”かなり厳しい”部類で』→『天音はある程度の生き辛さを抱えながら社会生活を送っている』
『➁.こっちのけんとの親は”子を自分のために利用するエゴイスト”で』→『こっちのけんとは躁うつ病や希死念慮等の重大な症状を発症してしまった』
『③.遠野なぎこの母親はエピソードをいくつか聞いただけで誰にでも分かる程に”狂っていて”』→『遠野なぎこは”重大な症状を様々発症した上でそれらにのみ振り回されつつ人生を送り、40代の若さで生涯の幕を閉じた”』
火を見るよりも明らかだ。『親の毒親度』と『子のAC度』には明確な比例関係があり、ACの重篤度は『親の毒親度』によってのみ決まる。「性別」も「性格」も「タイプ」も「地域」も、従事している「仕事」も育ち生きた「時代」も関係なく『子がACになること』と『それにどの程度支配され具体的にどういった人生を送るか』は『親の毒親度』によってのみ決定されることがこの三例を見れば分かる。
【子ガチャ】・【親ガチャ】という言葉が世に浸透して久しい。
天音・こっちのけんと・遠野なぎこが度合は様々なれど【親ガチャ】に失敗した、というのは取り敢えず確かなところだろう。
では反対にこの三人のACをそれぞれの理由で虐げた三人の毒親は
【子ガチャ】には失敗したのだろうか。
【子ガチャ】に失敗した腹立たしさから、
あるいは
その遅れを取り戻し”まともな子”に育て直すために我が子を虐げたのだろうか。
三人のACは【親ガチャ】を失敗したことにより明確に人生を阻害されているが、
【子ガチャ】に失敗した三人の毒親はどうだろうか。
それにより阻害され自分の人生を生きられず
本人でもあって良かったのかどうか分からないような
難しい人生を生きただろうか。
つまり、【親ガチャ】は
『ある』。
今回紹介した三人のACは【親ガチャ】に失敗して毒親を引いてしまったことで
『重大な症状・悪性の習慣の素となる要因を己の内側に育て』『それとのみ戦いながら生き』、そして『自分の人生を生きられずその大部分を無駄にしてしまう』ことを余儀なくされた。
一方三人の毒親達は虐げずにいられなかった(本人達的には不詳の)我が子を【子ガチャ】により引き当ててしまったことにより『何も喪失していない』し『人生にも何の齟齬も生んでいない』。─────例えば天音の母が実は「男の子が欲しくて」「もう少しハキハキとしていて元気な子が良くて」「VTuberとかではなく真っ当な一般職に就くタイプの子」が欲しかったとしても、その子の代わりに天音が生まれて来たことで天音の母は『追加で何かを余計に喪失していない』し『天音がその子より母の人生を大きく削り取ったという事実もない』。こっちのけんとにしても兄や弟と違い「暗くて籠りがちな」子として生まれてきたことで、遠野なぎこも「母好みの顔に生まれてこなかった」ことでより望ましい子が生まれていた場合と比べて『母の人生に損害を与えた』なんてことはない。
事実、三人のACの人生は「かなり窮屈で相当に生きにくい」~「破綻していてボロボロ」といった形で終生散々だが、それぞれの毒親三人の人生は全くブレていない。─────天音の母親の場合はシンプルにシングルマザーとして子を一人育てたというだけの非常に平凡なものだったし、こっちのけんとの母の場合は彼を育てたことで地位を上げ金髪の若作りでテレビ出演を果たしセミナーで金儲け、遠野なぎこの母の場合は遠野なぎこが16歳で家を飛び出して以降も変わらず色恋一筋に生きて最後は持前の不安定さに任せ自〇して終わっている。
要するに【親ガチャ】というものは『あっても』、
【子ガチャ】というのは
『ない』。
【親ガチャ】は「子が最低限真っ当な人生を生きるために回すもの」だが、
【子ガチャ】は「親が子の存在を利用して余剰に得をしたい場合に回すもの」だ。
「親が子の存在を利用して余剰に得をしたい場合に回す」……………
こんな邪悪な思想があってはならないことぐらいは誰でも(今回紹介した三人の毒親であったとしても)さすがに理解の及ぶところだろう。
だから【親ガチャ】は全ての親子関係においてその当事者全員が常に成果を確認し続ける必要がある程に重要な概念だが、
【子ガチャ】というのは
『ない』。
と言うより、
『あってはならない』。
子が自分の真っ当で健全な人生を守るために【親ガチャ】の結果を確認することは寧ろ必要な行為だが親が子の善し悪しを判断する【子ガチャ】は絶対に行われてはならない。─────親が子に行っていいのは『保護者』の名の通り『ただ”保護”することだけ』なのだという前提がどうしても呑み込めない場合その人物は子を設けてはならない。遠野なぎこの母に関してはどうあっても無理だったと思うが天音の母にしてもこっちのけんとの母にしても子を産む前の段階でこの前提が呑み込めないような人間だった場合、独り身で暇で空虚な人生を送ることになろうと菅田将暉がこの世に誕生しない結果になろうと子は絶対に設けてはならなかった。
■天音は「自分はどうもおかしいらしい」と気付いてからあっさりと既存の自分を捨てる決定をし「普通の人間のモノマネ」を必死に続けるここ何年かを送っている。─────「承認欲求が満たされて王様気分が味わえること」でも「誰にも歌えない素晴らしい歌が歌えるようになること」でも何でもなく「普通の人っぽく感情表現が出来た」「皆から普通の人と捉えて貰えてる気がする」といった感覚を一番の報酬として嬉し涙を流す、そんな20代を天音は送っている。
■こっちのけんとは紅白に出ても若者達の羨望の的になろうとも結局は「疲れた」「死のうかな」としか思えない今を送っている。一時期SNS(特にTikTok)で流れて来るほぼ全ての動画に彼の曲が添えられていたような時期もあったが、その賞賛が彼には届かない。何を頑張ってどんな成果を残そうと延々と疲れる、慢性的な不安感がいつも纏わりついている、その正体が何なのか、どこから来るものなのか一向に分からない、やっぱり自分はおかしい人間なんだ…………そんな堂々巡りを繰り返すことだけが彼の人生における主軸でメインテーマだ。
■ニュースで連日報道されたように、遠野なぎこは死亡した後しばらく発見されず、灼熱の自室内で一人その体を腐らせていった。遺族の発表によるとその死因は”自〇”ではなく”事故死”だったそうだが、例えばその”事故”が習慣として根付いていた『過食嘔吐』の吐しゃ物をのどに詰まらせた結果のもの、だったとしたらどうだろう。夜は眠れないことが多いため『睡眠薬』を服用して寝ることが多かった彼女だがその効き目がその日たまたま強過ぎて日中になっても目が覚めず、そのまま熱中症で死亡、という流れだったらどうだろう。─────もちろんそれでも警察の見立ては”事故死”になるわけだが、それを本当に純粋な”事故死”と呼べるだろうか。病的な強迫観念に憑りつかれて自分の体を虐め抜くように行われた異常行動の果てに死した場合、それと”自〇”との違いは一体何になるだろう。
生前のインタビューで恋愛歴は多くとも「人に対して愛情を持ったことはない」と話していた彼女だが、飼っていた猫に関してだけは「明確に愛情を持っていることが自覚出来る」「だってこの子のためなら喜んで死ねるから」と話していた。
今は救助されて「安全な場所にいる」らしいその猫は、普通に考えると遠野なぎこの腐乱死体が発見された時に救助隊により同時に保護されている─────つまり、死した後急速に腐敗していく遠野なぎこと二人きりで過ごす目処一週間弱を経てその猫は救助されている。
猫だって「暑さ」には弱い。遠野なぎこの猫は長毛種なのでなおさらの筈で、「食事」はともかく「水分」の補給もなしに灼熱の部屋で一週間近く過ごして「無事に保護」はさすがにないだろう。発見された部屋で過ごした最後の一週間近い期間、遠野なぎこは死んでいたので普通に考えると猫は「食事」も「水」も誰からも与えられていない。
つまり遠野なぎこが飼っていた猫は遠野なぎこが死亡してからの一週間近い期間を「腐敗していく遠野なぎこの体を食って生きていた」という、普通に考えるとそういう見立てになる。「食事」もそうだが「水分」も人体には豊富に含まれていて、猫の小さな体なら一週間足らずの期間ならそれで十分に賄える。─────悲惨過ぎる話ではあるが、「飼っていた猫は無事保護されている」という一文によりこの推測はほぼ確で事実だ。
纏めると遠野なぎこは『①.自〇とそう変わらない方法で早過ぎる死を遂げ』→『➁.誰にも見つけてもらえないまま真夏の自室で一人腐乱していき』→『③.唯一惜しみない愛情を注いでいた愛猫にその体を食われる』という最期を遂げた。
✔ これら三人のACの性格・生態・エピソード、そしてその存在そのものまでもがそれぞれの親が安易に回した【子ガチャ】の産物だ。『産んだからにはその所有権の何割かは自分にある』『産んでやったんだからせめてこうあって欲しい』『私という人間の格を上げるためにこれをやって欲しい』、そんな(無自覚にして)邪悪な思想により回された【子ガチャ】が生んだ哀れな自己破壊モンスター、それが上記の三名で、この世に生きる全てのAC(アダルトチルドレン)なる存在だ。
重度の虐待被害者であることとそれに端を発するいくつもの難病を抱えて生き辛い人生を生きていることを公表した後、遠野なぎこは自身と同じように苦しみながら人生を送る人達に向けて以下のように語っている。
A.「(①)目に見えない心の傷も必ず癒えることを信じてほしい、(➁)自〇だけは選ばないでほしい」
しかし逝去する前数年のガリガリにやせ細った彼女の姿を見て「①目に見えない心の傷」が癒えていたように見えるだろうか。(➁)自〇だけは選ばないで欲しい、と言っているが心身がボロボロになる程に自らを虐め抜いた後”事故死”を遂げた彼女の死は自〇ではなかった、と明確に言えるだろうか。
また
B.「(③)”一人じゃないよ”って伝えたいです。孤独感を感じると思うのですが、一人じゃないし、(④)私も一緒に戦うし、それでも(⑤)仕事をして笑顔でいる姿を見てほしい。(⑥)ずっと暗闇の中に居続けるわけではないから、ずっと手を繋いで歩いていこうねと伝えたいです。」
ともやはり同じような境遇にある人達に向けて言っているが、彼女は結局「(③)自室にて一人で死亡した後腐って誰だか分からなくなるまで誰にも見つけてもらえなかった」し、「(④)ろくに誰の支援もしないまま早々に逝去してしまった」し、「(⑤)健康状態の悪化と奇行・乱行の繰り返しで事務所もクビになり仕事は減る一方だった」し、「(⑥)生まれ・育ち・生前の様子・死亡した際の様子等その全てにおいて彼女の人生は最後までずっと闇に彩られ続けていた」。
A、B二つの言葉を大衆に向けて発信した遠野なぎこは『ACだって救われていい』『孤独ならAC同士手を取り合えばいい』『前向きに生きて、少しでも喜びのある人生を』と近い立場にある人達(=つまりAC)に向けて語りかけていたわけだが、実際には当の本人自体がそれを実現出来なかった。─────寧ろ真逆を行き、『誰にも寄り添われず』『助けることも助けてもらうことも出来ず』『最後まで虐待による負の産物に苦しめられ』『考え得る中で最悪………のそのさらに上を行く凄惨極まる死に方をした』。
ここから分かるのが、『AC(アダルトチルドレン)は助からない』ということだ。
インタビュー記事や著書等を見る限り、彼女は自分の抱える問題に100%向き合っていたし、それが子供時代に受けた虐待により発現したものだということも分かっていたし、専門機関に通う等して腰を据えて闘病することもしていた。
また同じ苦しみを抱える人々に呼びかけ協力し合うことの重要性も説いていたし、こういった問題に関しては「問題それ自体」より「そういった問題により孤独になり社会から隔絶されてしまうこと」の方がより深刻だということも理解していた。
それでも彼女はACとして抱えた様々な症状に終生振り回され続けたし、結果独りで死んだし、その死に方はほとんど自〇と変わらなかったし、おまけに灼熱の真夏の室内で時間をかけて腐っていくという最悪なその後を過ごした上で全霊で愛していた愛猫に体を食われてしまった。
誰の目にも明らかなように、遠野なぎこは全く『助かっていない』。「重度の虐待被害者(=AC)」としてシンプルに自〇して終わる筈だった人生(実際公表しているだけで二度の自〇未遂歴がある)を長引かせた上で代わりに「自〇紛いの死に方で独り孤独に死に、その上腐って愛猫に食われる」という、寧ろさらに酷いんじゃないかというような最期を迎えている。─────抱えていた重度の病気にしても「いいクリニックを見つけて症状がマシになった」とは言いつつも最後はあのガリガリに痩せた姿だった上に”ヘルパーさん”まで雇っていて全く打ち勝てていない。「人に愛情を持てない」という問題も抱えていたが孤独死しているのでそれも全く改善出来ていない。間違いなく、遠野なぎこは『全く自分の運命に抗えていなかった』し『病気を始めとした様々なACとしてのハンディキャップに打ち勝ててもいなかった』。
彼女程自分の問題に向き合えていて専門機関にもしっかりとかかりACとしての自分の運命に抗う意志も固く持っていた人間がこうも何も出来なかったのなら、普通に考えて『ACは誰も自分の運命に抗えない』。遠野なぎこの今回の騒動は言ってみればその実証みたいなもので長く生きれば生きる程(これ程壮絶なものではないにせよ)見聞きするのは同種の実例ばかりになっていくのだが、反対の「ACが自分の運命に抗い健全な者と全く同様に生きられた実例」は私が知る限り一つもない。悲惨な子供時代を経たことにより他人と信頼関係を築くことが不可能になってしまった者は独り身を貫くか結婚してもいずれ離婚するだけだし、暴力や恫喝を受けた者は(度合が何割減かになることがほとんどとは言え)同じことを当たり前のように我が子に対して繰り返すし、死にたい奴はずっと死にたいし、他人が信用出来ない人間はずっと他人が信用出来ないままだ。
それこそ遠野なぎこのように、ACは自分の現状や未来の展望について口では何とでも言いたいように言える。彼女のように「改善に向かっている」「同じ境遇の者同士手を取り合っていきましょう」と、まるで憑き物が落ちたかのような顔で言うことは(女優なことも手伝って)いくらでも可能だし、天音のように「段々普通の人みたいになれてきてるかも……///」と嬉し涙を流すことも出来る。
でも遠野なぎこは(まるで運命に抗って人生を長引かせたことに対して罰が下ったかのように)想定よりさらに酷い末路を迎えたし、天音は前述の通り度々本当に気持ちが悪いし、キャリアも前に進められていなければ心から気を許せる友人も結局一人も出来ていない。─────こっちのけんとなんかは「このままじゃ自分には何の価値もないから」ということで一念発起して紅白にまで出場するという大快挙を成したわけだがやっぱり変わらず「自分なんか……」という落ち込みを再発して「活動セーブ期」に入ったりしているわけだがこういった形で、『ACはどこに行って何をしようとも結局自分を変えられない』し、『救えない』し、『自分の運命を変えることも出来ない』。
だからそれらを踏まえて、
私は世の全てのAC(アダルトチルドレン)に言いたい。
■君たち(=AC)は一生独りだ。
■誰と出会ってどこに行って何をしようとも
■親と和解しようと
■結婚して子を作り新しく自分の家族を設けたとしても
■無理を押して社会に出てどんな功績を上げても
■誰かに勝って何かの頂点に立っても
■誰かを助けて何かから(救われない自分の代わりに)救っても
■何も変わらない。
■一生独りで
■喜びのない人生を送る。
■口では何とでも言えるし、
■自分の気持ちに嘘を吐くこともいくらでも出来る。
■自分の抱える問題や症状に向き合って
■勉強して対策を練ることも出来る。
■誰かと一緒に居てその姿を(自分にも他人にも)アピールし、
■彼等と同種の存在である体を取り繕ってもいいだろう。
■でも何をしようとも
■健全な人と同じにはなれない。
■彼等の仲間にもなれない。
■結局どこかで分かり合えないタイミングが訪れて
■結局最後は
■独りになる。
■君たちの人生は”世間”に向かっても
■”他人”に向かっても
■広がっていない。
■君たちの人生は
■”自分自身の頭の中”にのみ向かって
■広がっている。
■自分の頭の中にいる、
■「半分は親の顔」
■「半分は自分の顔」をした
■怪物と
■頭の中でのみ戦い続ける、
■それが君たちの人生の主旨で
■たった一つの目標だ。
■何をしてもそれは変わらない。
■逃げれば無限に後ろから切りつけるし、
■対抗すれば怒りに飲まれて自滅する、
■そんな相手と一生戦う
■君たちの人生はそれだけだ。
■その過程で
■「(AC)だから出来たことや分かったことがあったよね」と、
■自分を慰めるのは自由だし、何回やってもいい。
■でもそれによって何十年か前に親によって無理矢理押し付けられた
■運命が変わることはない。
■君たち(=AC)は一生独りだ。
■どこに行って何をしようとも
■それは変わらない。
■変えられるのは「自分の慰め方」だけだ。
■「そんなの鬱過ぎるからやっぱり早めに死んどくわ」と言うのなら
■それもどうぞご勝手に。
■どんな死に方でも自分でやるなら
■きっと
■「夏の自室で腐りながら愛猫に食われる」
■よりは
■マシな死に方になるだろうから。
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