✔ 湊がこれから再デビューを果たすであろう個人勢の領域に、「手描きに上げられるようなシーンの切っ掛けを湊に与えてくれる年上の同僚達」はもちろんいない。(個人勢の領域には手描きの文化自体ほぼ存在していない事実は一旦横に置いておいて、)それは「湊がリスナーの琴線に触れる機会のほぼ全てを今後永遠に失った」事に等しい。
ここまでに挙げた手描きに遺されている「あくすい」「あくあマリン」「陰キャ可愛いムーブの数々」「裏でだけ見せる変な挙動」「周りの仲間達が湊をイジりつつ愛でる空間そのもの」その全てを、一切提示出来なくなった元・湊あくあである個人勢VTuberに果たして存在価値はあるだろうか。リスナー達がそのVを観続ける理由とは一体何なのか、またそのVを視聴する際の具体的な楽しみ方は何になるだろうか。
早ければそろそろ再デビューを果たすであろう元・湊あくあの個人勢Vは、早い話が何の見所も持たない無価値なVだ。攻撃的な年上の同業者に攻められて「可哀想は可愛い」を発動する事は出来ず、明朗快活にそつなく喋るばかりで「陰キャ可愛い」のベースキャラは封印され、俺らの推しがこぞって構い「こいつは愛すべき奴なんです」と身を以て伝える事もない、そんな薄味でプレーンで特に追うべき理由を持たない存在だ。
ここで今一度問いたいのは『【方針】って何だったの?』という事。リスナーから愛される理由や要素の全てを捨て去ってまで年上の仲間達がいなければ何も出来ない単体不成立のVが「個の力でやっていく人」と書いてその名も「個人勢」の領域に移ってまでやりたい事って、叶えたい【方針】って一体何だったの、という事だ。
湊に言わせればその【方針】は今回のホロライブGTAに参加してこれまでの仲間達と共に色とりどりな見所の数々を生み出す事より価値があった、という事になるのだがそんな【方針】が一人になって強味の全てを失った湊に果たして叶えられるだろうか。
今年の初め頃裏で【方針】だとかおかしな事を言いだした湊に必要だったのは【尊重】でも【同意】でもなく『教え』と『導き』だった。この記事で紹介した湊の手描きで湊と共演していたようなホロメン達は全員本当はそれが分かっていた筈。───「私達が周りで賑やかしてるから何とかなってるんだよ」「自分一人で出来た事って何もないじゃん」「………ソロマス?」「全然響いてないでしょ笑」たったそれだけの事実を、恐らく嫌われる事や巻き込まれる事怖さに誰も伝えられないままでいた。そしてそれが個人技ゼロの湊を個人勢の領域に追いやり、ホロライブに【湊不在】の解決不能な難題を纏わせ双方を同時に破滅ルートへと導くに至っている。
前記事までに示した根拠の数々からホロライブは今後終わっていくだけだが、湊のVとしての〇はもっと早く、可及的速やかに訪れる。───と言うか、実質的には湊はもう〇んでいる。再デビューと同時にそのブースト効果を使い果たして数字が落ち着けばその後湊に出来る事や提示できる魅力は何もなく、これまでの倍はあるかという残りの活動期間は暇を持て余してとつとつと意味のない活動を繰り返し、何の波風も立てられないまま終わっていくだけだ。
この件一つとっても、ホロライブは変わる必要に迫られている。友愛や馴れ合いだけではなく厳しくも真実な事実の提示で甘えや思い上がりを打ち消す事を、その場限りの楽しさ・盛り上がりだけではなく実質的な方策や打開案を打ち出し新たな一歩を踏み出す努力を、事務所ごとがそう体質を改めなければこれかこれに近いような悲劇がまた、延々と際限なく繰り返されてしまう。
────でも今のホロメン達や運営を見れば分かる通りホロライブにはもう変わる力も、それを志すだけの精神性も残っていない。
────だからやっぱり、
────ホロライブは終わっていくしかない。