✔ 以上今回の葛葉との歌みたコラボに関する星街の言い分を計10分程の切り抜きから14程取り上げて精査してみたが、そのことごとくにとにかく意味がない。日頃ゼロ距離の位置関係で協力し合いながら活動を行っている同僚達の努力に対し何の配慮もしていない実情が垣間見える発言(⑧⑨)だとか、葛葉(と言うよりイケメン=人気=男性VTuber)への劣情がにじみ出ている発言(⑦⑩⑪⑫)等色々ある中で①~⑭の全てに共通しているのは「意味がない」事。約10分に渡る「葛葉とのコラボに関する・理由・利点・美点」について語った筈の14の言葉達はそのことごとくが当初の役割を果たしていない。────全部間違っているので点数に直すと「0点」でやっぱりこいつは相も変わらずとんでもないバカなのだが、「のび太くん、いくら頭が悪いとは言え毎回0点っておかしくない…?」という例の理論と同じ理屈で、いくら頭が悪いとは言え一つのコラボ作品に関する説明を10分で14も喋ってその全部に意味がない、というのはやはり不自然だ。のび太くんのパターン同様、何度繰り返されたか分からない星街の『全釈明、毎回総0点』の不可思議現象にもやはり根源的な理由があると考えるのが相応だろう(のび太くんの場合「本当は滅茶苦茶頭が良くてわざと0点の答案用紙を作っている」「ウケ狙いで全問ボケ解答を書いている」「作者によるキャラ付け」等)。
その答えは今回のコラボ歌みたを製作するにあたって星街が辿ったルートと踏んだステップを追えば簡単に分かる。星街が今回歌みたを製作するにあたって辿ったルートは「A.King Gnuと椎名林檎のコラボアッチィィ~、となった」→「B.その歌みたをV版で再現する事にする」→「C.男声役として葛葉に当たりを付ける」→「D.直接打診し製作過程に入る」→「E.完成し、投稿する」→「F.その件に関する【0点の説明配信】を行う」だが、「A.この曲いいな、と思った」→「B.歌みたでやる事にした」という全ての行程の中で一番初めの、活動の方針・方向性を決める一番大事な二つのステップの間に一切の思考タスクが差し挟まれていない。
「A.いいな、やりたいなと思う」→(特に何も考えない)→「B.実際にやる事にした」という軽率過ぎる方針決定により誕生した「【葛葉とコラボ】した上での【King Gnu × 椎名林檎】のコラボ曲の歌みた」という激ズレプロジェクトに後付けの「説明」「理由付け」「美化」「正当化」を大慌てで試みたのがこの記事で取り上げた「F.【0点の説明配信】」で、だから「F」は全編通しで意味がない(星街の傍にいるようなホロメン達が星街と同じような「粗相」→「虚無釈明」のパターンを行う姿を見せないのは「A」→「B」の間にいくつもの思考タスクを差し挟むためで、そこが星街との最大の違い。「A.男性Vとのコラボ歌みたやってみたい」→(でもこのワガママボディは一味のためのものだしなぁ)→(この前の男性振付師のショートに続いてまたこれじゃあみこ、本格的に燃えちまうよこぇえよ……)→(てか男と絡むと場の主導権を握られてしまうのが嫌しゅばぁ)→「B.今回は見送る」といった形で正しい「B.方針」を星街以外の全員が導き出していて、だからズレズレで時として有害な、変な挙動とかそれを美化・正当化するための虚無釈明も生まれない)。
「A.やりたいと思った事」を十分な論理的思考タスクを差し挟む事なく「B.実際にやる事にする」行動を俗に「エゴ」と言う。「エゴ」な方針決定によって作り上げられた「エゴ」いコラボ歌みたについて星街は「F.説明」を行っているのだがそもそもの話、「エゴの説明」など誰にも出来ない。─────「やりたいと思った」「だからやった」、「エゴの説明」にこれ以上はない。「何故山に登るのですか?」「そこに山があるから」で済む話を「趣味友が欲しくて」「最近運動不足だったから」「僕アウトドア派なんですよね」と引き延ばすようなもの。「葛葉とは境遇が似ている」「歌う時に恥がない」「トップの数字を保持しているから」………全部「【W●RK】の歌みたをやりたい」「葛葉とコラボしたい」という「エゴ」を後付けで美化・正当化するための発言でしかなく、だから逐一意味がない(「エゴ」の「説明」はもちろん出来ないが「美化」「正当化」などもっと出来ない)。
星街の「F.説明」は厳密に書くと今回「F.エゴの説明(そもそも無理筋な行為)」だった訳だが、それは同時に「F.0点の説明」でもあった。等式で結ぶと「F.星街の説明」=「F.エゴの説明」=「F.0点の説明」となるが、配信等で何かしらの「F.説明・釈明」を行う時の星街はいつもこのパターンだ。「A.やりたい、言いたいと思う」→(十分な論理的思考タスクを挟まない)→「B.やる事にする、言う事にする」→~~~~~~→【配信などでやった事への「F.説明」を行う=「F.エゴの説明」でしかなく話す言葉全てに意味がない=「F.0点の説明」が出来上がってしまう】、いつも毎回必ずこれだ。
今回など正にその典型だがここまでに少し触れた「さっくんとの熱愛疑惑」も正にそれ。
■【「A.イケメン有名芸能人と繋がりたかったのが本音」→「B.誘われてすぐ繋がる」→~~~~→「F.何が悪いの?という開き直り」】
■【「A.疑惑の映像&音声はガセだと言いたい」→「B.一番多くの不特定多数に対してそれが出来る配信に映像&音声ごとを持ち込む事にする」→~~~~→「F.気分悪過ぎ&空気悪過ぎで本来あるべきものから激しく逸脱した事故・釈明配信が出来上がる」】
■【「A.アンチに対抗したい&でも悪者にもなりたくない」→「B.アンチは無視か通報で、の文言を思い付く」→~~~~→「F.自責ゼロ・反省ゼロの一番不信感を買う、最悪な姿勢のまま後味の悪い幕切れ」】
今回の件、「さっくんの件」、そしてその前後・合間にも絶え間なく繰り返された同じパターンにより形作られた言動の全てが、自分の行動にまともな説明一つ添えられないバカにしてリスナーを見下しているエゴイストで、一番自分に良くしてくれている仲間達の活動にすら傷を入れるクズでしかない今の星街を作り上げている。
以前どこかで「ニホンゴムズカシイ」「ニホンゴムズカシイ」と繰り返していたような記憶があるが星街の喋りが毎回おかしいのは発言一つ一つのワード選び・言い回しがおかしいからではなく「A.欲求」→「B.行動の決定」の初動ステップで押し通した「エゴ」の説明をする必要に常に迫られているせいだ。私は日本語がかなり卓越している部類だが自分の純然たる「エゴ」、例えば「なんで頭と気が弱くておっ〇いの大きな女性ばかりを狙って一方的に支配するような関係の構築を試みるのですか?」と質問されても答えられない。「エゴ」の代償は常に「(説明)責任を果たせない事」でそれを毎回繰り返していると仲間や信用、社会的地位等ありとあらゆるものを大幅に失ってしまう事だ。そんな代償を負ってまで押し通す程の価値を持つ「エゴ」など実はほとんど存在せず、だからまともな人間(≒星街の傍にいるような大多数の大型のホロメン達)は寧ろエゴを押し通してしまう事をリスクと捉えていて、だから「A.欲求」→「B.行動の決定」の間に必ず論理的思考タスクを必要十分量差し挟む習慣を身に付けている。