✔ 少々話が脱線してしまったのだが、星街の誰の想定をも遥かに上回るブサイクフェイスが露呈してしまった事により付随して起きた事象が(多数の星詠みが蒸散してしまった事の他に)一つあって、それは星街が日本のメジャー音楽界の第一線へと進出出来る可能性のゼロ化だ。前頁で紹介したブサイク過ぎる顔面がバレてしまった事により、星街が日本のスターダムにのし上がり、メジャー音楽界を荒らし回って歴史に名を遺す可能性は完全に失われてしまった。
【A】「顔がブスな女性歌手は成功しない」なんて一聴するとバカな話のようだが、でも実際顔が(特にここまで際立って)ダメなタイプの女性歌手は本当に売れない。現に今回星街が「アッチィィィ~♪」となった事で葛葉とのコラボに選んだ曲を歌っている本家、椎名林檎は昔から女性ウケが際立っていいシンガーだったがその顔立ち(とあと体も)は男から見ても紛う事なき即ハ〇もんで、彼女と大体同時期から活躍し始めたYUKIなんて大御所シンガーもいるがこの人もやはり(特に女性人気が高いタイプの)完全な美人系。「日本の女性シンガー」としてはこれ以上ない程充実した人生を送った安室奈美恵もやっぱり(ギャル系・リア充系の)美人、宇多田ヒカルはそういう売り方からは縁遠いように見えてもやはり極めて整った綺麗な顔立ちをしている。
【B】前頁で「現状考え得る星街の最適解はAdoの隣かその後釜だ」とも書いたが、今で言うAdoのような形でその時代時代の若者達のランドマークのような立ち位置に就いていた単体の売れっ子女性シンガー(基本的に皆短命で、ピークは目処5年程度)達を見てもやはり「顔が綺麗」の共通項は健在だ。Adoが「うっせぇわ」をリリースした2020年からざっくりと5年単位で遡るとmiwa → きゃりーぱみゅぱみゅ → 西野カナ → YUI → 絢香 → 木村カエラ → 中島美嘉 → 大塚愛みたいな感じになるがその全員が余すことなく、(……少なくともピークだった当時は)全員顔がいい。歌っていた「歌の質は良かったか」「上手かったか」と言われればかなり微妙な歌い手も中には混じっているが、当時若者をやっていた人間に知らぬ者なしな有名女性シンガーで顔がだめな者は一人もいない。─────つまりこの時点で、女性の歌い手が日本でトップクラスのスターになりたい場合、「歌の質」「歌唱力」よりビジュの良さの方が優先順位が高い事実が窺える。
【C】では反対に「顔は微妙(以下)だけど」→「成功した女性シンガー」の条件に当てはまる歌い手を何人か挙げてみると、これが本当にほとんどいない。バンド形式のボーカルも含めて新しい者から順に書くといきものがかり吉岡(ボーカル)→ Superfly →チャットモンチー橋本(ボーカル)→ AI → Crystal Kay(クリスタルケイ)→ MISIA → aiko(世代的にここに並べるのが心苦しい)といったところだが上に挙げた「美人組」と比べると明らかに小粒にして短命な歌い手が目立つ。
✔ 0:04~ これはとある女性シンガーが何かしらのアワードを受賞した際のスピーチの模様を収めた映像だが、彼女が誰だか知っている人はほとんどいないだろう。────彼女の名は中村佳穂、2021年の細田守作品「竜とそばかすの姫」で主人公の声(と特に歌)を担当した、関西を拠点に活動するマイナーなシンガーだ。
(0:04~)から劇中で聴かれた中でも非常に印象的だった歌の冒頭のメロディーを口ずさんでいるが、──────分かるだろうか、この美し過ぎる歌声が残念過ぎるビジュに邪魔されている感じ。「見た目が気になって話が入って来ない」とはVの配信でもそれなりに聞くような言い回しだがこれは正にその典型、ビジュがだめな歌い手がとにかく成功し辛いのは例えどれだけ質のいい歌を歌おうと残念過ぎる見てくれが視聴に障り、それを相殺してしまうためだ。
「竜とそばかすの姫」は特に若い世代を中心に幅広く観られた作品で、劇中中村が披露した美声や歌唱の能力に心打たれなかった人間はその中にほとんどいないだろう。歌も映像も申し分なしで誰の記憶にでも(それに反してクソ過ぎた映画の脚本部分の思い出と共に)強く残っている筈なのだが、作品が公開された2021年から早3年、中村はそれに出演するまでと何も変わらず鳴かず飛ばずのままだ(この映画に出演したお陰で儲かってはいる)(今年独立して企業、現在社長の身分)。────はっきりと言語化してしまうと本当に残酷な話になってしまうが、あの作品で彼女のシンガーとしての質の良さ、特別さを十二分に思い知った上で民衆は彼女を求めていない。あの作品の劇中歌以上に彼女の歌を聴きたいと誰も思っていないし、彼女の存在自体市場に全く求められていない。
理由はもちろん「ビジュが悪いから」だ。────厳密に言うと、「悪過ぎるビジュに邪魔されて良質な歌に聴き入りたい気持ちが阻害されてしまうから」だ。
【D】しかし「竜とそばかすの姫」の主人公の辿る道、引いてはその作品に中村が出演して成功を収めた事自体がメタファー的に示唆している通り、今はどれだけビジュが残念でも『顔を隠して活動する』選択肢がメジャーな音楽界の第一線でも使える時代だ(その体験を映画への出演を通して疑似的に済ませた中村が何故そのスタイルに切り替えないのかは謎)。その代表例は言うまでもなくAdoだが、Adoは実は顔バレしている。
してはいるのだが、(検索すればすぐさま拝見出来る)その顔は(少なくとも星街程には)悪くない。上で挙げた【C】、「残念なビジュ組」の中に放り込んでみると寧ろいい部類で、「隠してた割には良い(顔してん)じゃねぇか///」という良い方のギャップが生まれただけ、顔バレによりAdoが被った損失は特にない─────何が言いたいかと言うと、「(本当に笑えない程に)ブスなら見せるな」⇔「見せるなら(少なくとも視聴に障らない)(or抱ける程度には)美人であれ」という事。顔を隠して活動する新世代の歌い手に関しての話でもあるし、女性VTuberに関しての話でもあるが…………どちらだったにせよこの忠言の対象はもちろん、間違いなく星街だ。