「狂気とは即ち、同じ行動を繰り返しながら違う結果を望むことである」
─────アルバート・アインシュタイン(……は本当は言っていない)
✔ これは今でもYouTubeで聴ける話なのだが、その昔誰でも知っているとある有名なお笑い芸人が地上波バラエティの番組で体を張る企画に参加したという。内容は『1万匹のGが這い回る3畳程の狭い部屋で曲を一曲熱唱する』というもの。────20年ぐらい前の話だが今では到底まともに放送出来る筈のない内容で、時代の流れが感じられる。
ここで重要なのはその企画の裏側についてのエピソードで、出演した有名芸人によると企画の撮影開始前、番組スタッフが『1万匹のG』が収容されている『ポリ(ゴミ)バケツ』に『殺虫剤』を少量吹き込んだらしい。(Gがより元気に這い回る)いい画を撮るため、Gを活性化させるために行われた行為だが目論見は見事的中、少量の殺虫剤で活性化された1万匹のGによりポリバケツはガタガタと音をたて揺れていたという。
このエピソードに準えて例えるなら『ポリバケツ』は【ホロライブ】だし、『少量の殺虫剤』は【『湊卒業』のカンフル剤】、『1万匹のG』は【ホロメン達】だ。
大きく堅固な【ホロライブ】という『ポリバケツ』に突如投入された【『湊卒業』のカンフル剤】という「死ぬ程ではないが相当に苦しい毒のようなもの(≒『少量の殺虫剤』」の効果でこの4カ月【ホロメン達】は上記エピソードで登場する『1万匹のG』のように暴れて箱をガタガタと揺らしている訳だが、結果もやはり上記エピソードのG達と同じで「何も変えることが出来ない」だ。
『1万匹のG』は当然『ポリバケツから出たかった』訳だが平時と同じ『這い回る』という行為を倍速以上にパワフル&高頻度に繰り返してもやはりそれは叶えられず、【これ以上誰も失いたくない】【停滞し低質化する一方のホロライブを変えたい】【良い箱にしたい。……出て行ったことをあくたんが後悔するぐらいに】といったホロメン達の想いも【以前と同じ活動】を【高速かつパワフルに繰り返す】という行為によって叶えられることはない。痛みと焦りと後悔の念により全員が暴れ狂って今箱はガタガタと揺れているが結局はそこ止まり、【頭打ち】【落ちていく】【今後もメンバーの脱けは止まらない】という未来が変わることはない。
ホロライブは本格的に、もう終わりだ。ホロメン達にデビュー以来最大級の喝を入れ激しく活性化させた『湊の卒業』という事案が、かえって彼女達の限界を露呈させてしまった。
2~(2.5)~3期を中心に、ホロメン達は皆本気だ。反省して後悔して、泣いて焦って、でも前を向いて皆で肩を組んで、明るい未来を夢見て湊の卒業以来の一日一日を、それぞれが一生懸命に生きている。
でも実際は一歩も前に進んでいない。同じ場所をぐるぐると回ってある種滑稽な、ある種醜悪な、ある種哀れな(そしてどれにしても最終的には結局無意味な)姿を晒しているだけだ。
私はこのブログを通して彼女達を何回なじったか分からないし、何回○ねと言ったかも分からない。それらは余すことなく全てが本音で事実でもあったのだが、さすがに今回ばかりは責められない。────何せ今回彼女達が晒した咎は”無能”なのだから。「”無能”を責める」ことなど誰にも出来ない。「猿かよ」「何だったら出来るの?」と責めたてることも出来なくはないのだがそれは「責め」と言うより単純な「虐め」で、私はそれをする程酷薄でも、根性のねじ曲がった人間でもない。
『ポリバケツ』に閉じ込められ『殺虫剤』を吹きかけられた『1万匹のG』は、本当に外に出たかったのなら無作為に這い回って暴れるのではなく例えば「バケツの蓋と本体の隙間の一点のみを狙って全員で息を合わせ、(カルトの紙吹雪のアレよろしく)突撃する」だとか「同じく全員で本体の横腹を突いてバケツを転倒させることを試みる」だとか「底を喰い破る」だとか、「今生の生は諦めて○尾に励み、卵を残して後世に望みをつなぐ」だとか、「そもそもこういう未来を予測して事前に研究所のゲージか何かで飼われていた時分から脱走を画策しておく」だとかの平時とっている行動(=這い回る)とは別の何かを用立てるべきで、そうでなければ「不本意な現状」というのは常に打破出来ない。
ホロメン達というのはそういう応用が死んでも利かせられない人間達なんだということが今回、明らかになった。湊という一番大事にしていたメンバーが愛想を尽かせて辞めても、それにより本気で心を砕きありったけの本気をぶちまけても、絶対に…………今回以上に、ホロメン達が変われるチャンスは今後ない。ぺこマリが辞めてもみこめっとが辞めても、大空やその周辺の誰かが辞めても、視聴回数が落ちて給与面等雇用条件が悪くなっても、今回湊が辞めたことに比べれば全て些事だろうし、何が起こったとしても今回以上に発破のかかったホロメン達の姿は想像出来ない。────『ホロメン達は変われない』『例え誰が居なくなっても』『何が起ころうとも』『だから』『ホロライブは今後絶対に良くならない』『持ち直すことは絶対にない』それが湊の卒業により今回最も明確化されたことで、一番重要なポイントだ。
─────文化は、いつも終わっていく。
─────どんなに優れた文化にも、
─────必ず終わりはある。
─────「存続」は割と長くする。
─────「AKB」はまだある。
─────「モーニング娘。」も驚いたことに、
─────まだある。
─────テレビは今だに放送している。
─────月ノ美兎は今でもにじさんじ一の有名人だし、
─────ぽこピーの動画は今でも20万回以上回る。
─────「四天王」には驚いたことに、
─────まだ生き残りがいる。
─────でもその全てはもう、
─────「終わっている」。
─────「辞めていない」だけで、「息はもうしていない」。
─────ホロライブもとうとう、
─────そうなった。
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─────私は別に、
─────悲しくはない。
─────何せ
─────文化はいつも、
─────終わっていく。
─────今まで本当にたくさんの、
─────グループが、
─────作品が、
─────天才が、
─────可能性が、
─────新しい潮流が、
─────悲劇的に早過ぎる段階で
─────その生涯に幕を閉じるのを
─────飽き飽きするほど、
─────それはもう本当に、
─────飽き飽きするほど見てきたのだから。
─────今回ホロの終わりが確定するまでにしたって、
─────Vに出会ってから
─────おめシスが終わり、
─────さんばかが瓦解し、
─────ぽこピーが腐り、
─────大空が終わって、
─────さくらみこが腐って、
─────宝鐘がいなくなって、
─────星街が自分で自分を傷付けて、
─────湊がいなくなるのを目の当たりにしてきたのだから。
─────だからもう慣れている。
─────少しも悲しいとは思わない。
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─────でもそれでも、
─────少しだけ悲しいと思う部分があるとするなら
─────それは、
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─────今際の際のその時に、
─────湊が
─────皆と一緒にいないことだろうか。
─────死のその時を、
─────湊と
─────他のホロメン達が
─────別々に迎えようとしている、
─────そのことだろうか。
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─────「最期の時はみんなで、せめて一緒に」
─────その願いすらも叶えられないのなら、
─────あとホロライブに望めることは
─────一体何が残っているだろう。