✔ 前項で挙げた宝鐘の動画と鷹嶺のトーク企画で明確に違う所はさらにあって、それはサムネの描き方だ。宝鐘の方は自分で作ったものではないと思うがそれでも企画の軸になっている星川と湊を最前に大きく、自分を小さくバックに置いたこの配置は宝鐘本人の発案だった筈。一方鷹嶺はゲストの四人を四隅のバックに、自分を一番大きく中央に置いた形で、まるで自分が他の四人を統率するリーダーだとでも言わんばかりだ。配信サムネは配信の主旨をパッと見で感覚的に理解出来るように描くのが基本だが、この配置だとこの配信の軸は鷹嶺で一番の目玉もそうだという事になる。
✔ 鷹嶺が新しく始めた企画と同じコンセプトを長らく活動の軸としている外部のクソバカ。こいつ単体は企画を精査せずに配信するとせいぜい1~2万回程度しか観て貰えないザコで、だからこそこうして色んな領域の自分より大きなタレントを呼んで数字を恵んで貰っている訳だが、その配信に付けるサムネにはいつも自分をゲストと同サイズかそれ以上に大きく描いている。「相手と自分は同格です」「自分は大きく華々しい成功者」とアピールしたいがための行いだが、これは余りに醜過ぎる。
✔ 似た向きの動きが多いななしいんく因幡。今度は自分を小さく、もしくは存在をぼかすように分かり難く描くパターンが目立つがこれは上とは逆で「ゲストさんあってのこの配信です」「自分なんかとても」という意志表示だ。間違ってはいないのだが少々度が過ぎていて、腰が低いと言うより卑屈な趣。
✔ 犬山と因幡は鷹嶺の新しい企画と同じ形で他の領域にいるVを集めて大型企画を行う事の多い二人だが、そのサムネはどちらも常々ズレた仕上がりだ。上手の同業者の威を借りその半分を自分の手柄だとアピールする犬山の行いは人の道を外れていて醜過ぎるし、因幡は陰気で卑屈過ぎるというのは大前提にあるのだがそれ以上にマズい点がこの二つのスタイルにはいくつかある。
【①.信用が買えない&成長代が潰れる(犬山】
✔ 犬山がこういった企画をやる時に踏むステップは「a.数字欲しい」→「b.どっかの有名人呼んで視聴回数回したろ」→「c.サムネには大物アピールでゲストと自分を並列で描く」→「d.ゴミみたいなバラエティスキルで低レベルなコラボを敢行」→「e.望み通り数字を稼いでご満悦」→「f.aに戻る」といった具合だが、犬山のこういった心理とカスみたいな行動パターンは、頭が良くセンスがあるV、つまり多くの場合は成功しているVにはサムネを見られた時点で即座にバレる。
犬山のライブ一覧を見てみると度々登場しているのはいずれかの領域の中級未満でくだを巻いているVか、そいつ自体も犬山と同じで自分より大きな何かにすがる形で数字を稼いでいるようなVばかりで、やはりまともな存在には相手にされていない。宝鐘を始めとした色んな領域の色んなビッグネームが犬山と一度は絡んでいるが、そのことごとくが今は犬山に全く寄り付かず、相手にしていない。依頼があれば付き合いで受けはすると思うが、このサムネのような形で利用されるだけだという事を理解した上で進んで犬山を相手取るまともなVは、今やどこにも存在していない。
犬山は犬山でこのサムネの描き方そのままに呼んだゲストを一時の数字稼ぎのために利用する気しかないので、Vとしての自分自身のテコ入れをここ何年も行っていない。バラエティスキルは変わらずイキったパンピーレベルでしかないし、センスも古くてズレたもののまま止まっている。一時の自己肯定感欲しさのために描いたあの厚かましいサムネは「私は数字のためにゲストを利用する気しかないクズで、それ故にスキルも将来性もございません、付き合っても吸わせて貰うばかりでお返しするものも特にありはしません」と言ってしまっているようなものだ。
【➁.誰の企画か分からない(因幡】
✔ 鷹嶺、犬山、因幡の三人に共通しているのは「単体ではリスナーに観て貰えない」という点で、だからこそこういう方向性で動いている訳だが、始めたからには独自企画として確立してリスナーにも同業者にも認知していって貰う必要がある。犬山は過剰なアピールが功を奏してそれに成功しているが、因幡がゲスト主体型の企画を励行している事実を知っている人間は決して多くはないだろう。サムネで自分自身をあまりに小さく描く事を続けるならそれが改善する事は一生ない。
鷹嶺はゲストを四人呼んだ企画で自分をド真ん中に置いているが、MCだとか回し役は普通そこに配置しない。ドリフの長さん、めちゃイケのやべっち、しゃべくり007なら上田、ぽこピーのピーナッツくん、ホロの格期生に配置されている夏色、大空、不知火、常闇、雪花、鷹嶺、火威青……その集団のバランサーだとか回しのような立ち位置にいる人間は普通脇に寄せ、大抵の場合少し小さく表示するのが常識だ。
鷹嶺が作ったサムネだと犬山のスタイルと同じ理由で鷹嶺が出しゃばり過ぎている事に加え企画の主旨と五人の関係性が極めて伝わりにくい。「これは鷹嶺主導の企画で」「鷹嶺はMCの役です」「これからもこういう事をやっていくつもりでいるのでぜひ覚えて下さいね」その全てをリスナーに迅速かつ感覚的に伝えるには鷹嶺の立ち絵は因幡のサムネと大体同じ位置に置き、サイズは他の演者より一~二回り小さくするのがベストだろう。それが一切の齟齬を生まぬままサムネの持つ効果の全てを最大化出来る最適解だ。
鷹嶺はそれなりにいい歳をした大人なので少なくとも上に挙げたTVバラエティの番組のうちしゃべくり007ぐらいはある程度知っていると思うのだが、であれば「その番組広告で上田がド真ん中にでかでかと載ってる訳がねぇ」「そんな構図は不自然だし誰もアガらない」事ぐらいすぐに思い至れる筈。うかつにもこういうサムネを上げて来た理由は「①.それでも自分のチャンネルでやる自分主導の企画だから真ん中で目立ちたい」だったのか「➁.単に気の利かないアホ」だったのかどちらかは謎だが、どちらにしてもこういう職に就いている者としては(宝鐘と違って)完成度が低く、頼りない。
ホロリス・ホロメン共に気付いている人間はあまり多くはないと思うが鷹嶺はかなり見掛け倒しな人間だ。ああ見えて末っ子らしいが根本はそちらの属性が強く反映されていて主体性(特に率先力)に乏しく、行動力も断行力も論理的思考能力も並中の並み。組織従属型でゴリゴリの受け身人間だが野太い声でエラそうに喋る、多分に支配的なあの感じからは誰もなかなかそれは読み取れないだろう。
これも業界研究の話になるが、今は大空と宝鐘というこういう企画をやるなら軸として呼ぶのにうってつけのモンスターが二人揃って活動上の新しい展開を見出せずにいて、モチベを失って停滞している状態だ。こういう時こそ鷹嶺みたいな動きをするVの仕事のし時なのだが、このクオリティでは今まで他のホロメン達が繰り返してきた箱外Vとのコラボと同じできっと何も起きない。鷹嶺の独自企画として広く認知される事もないだろうし、極めてうだつのあがらない鷹嶺の現状も打開できないままだ。
このように、ホロライブ4期以下は普段は上手く隠していても単体ごとの能力が冴えず、また練度も非常に低い。1期以上がホロライブ基準で見た時異常極まりないプレミを繰り返す「ジェネレーション・プレミ」である事とは別の問題がそこにはあるのだが、それはまた別の話。