【01.天音かなた:66点】《静かにもがく人。沈む時は必ず一人で…》B– VTuberレビュー(ホロライブ) –

VTuber



別世界、大失敗

✔ ホロライブの箱の中ですらあまり知られていない事だが、天音は歌を活動の軸にして歌を評価される形で推されたい「歌唱特化型のV」だ。頑張って探してみれば切り抜きが見つかると思うが天音の声域の広さは異常で、「歌い手」としてのキャリアの中でその歌唱力に絶えず磨きをかけ続けた跡が見える。単純な歌唱力だけで比較するなら星街ともそう差がないのではないだろうか。

天音が「歌が上手い」だけでなく「歌唱に特化したがっている」事が分かり易く表れているのが2022年年末に天音のチャンネルに上げられたオリジナル曲「別世界」とそのMVだ。VTuberやホロライブの基準を知らない人が見たら「本物のアニメのOPみたい、さすがホロライブ大手事務所」という感想を述べるに留まると思うがこの別世界のMVのクオリティはいちVタレントのオリジナル曲にあてがわれる物としては異常でぶっ飛び過ぎていて、何なら非常識と言ってもいい。一分一秒、画面の端から端まで一片の隙も見せない完璧な作画は有名どころの深夜アニメのOPどころかその劇場版のEDに匹敵する出来だ。

この豪華過ぎるMVの製作に、ホロライブは一銭も投資していない。これは天音が自分の判断で自腹を切って外部に製作を依頼した物で、本人が語るところに依るとその額実に「四桁」、つまり1000万超の製作費を投じてこのMVは製作されたという話だ。これはV界最強の事務所ホロライブにおいても極めて異例な事で、同じ歌唱特化型のホロメン達はもちろん星街のオリジナル曲にもこんな額はかけられていない。これで「歌うまV」として成功したがっていないと言えば嘘になるだろう。

別世界はMVだけではなく楽曲も非常に良く出来ていて、こちらもこのまま有名アニメの主題歌に使われていてもおかしくないレベルだ。驚くべき事に天音はこれを自作していて、その技量には本当に驚かされる。当然歌唱も完璧。「別世界」は天音がこれまでの人生で培った歌唱力・技術・資産を全て詰め込んだ起死回生の一手だ。チャンネルへの投稿時期にもわざわざ年末を選んでいて、並々ならぬ入れ込みを感じる。

そんな天音が全てを懸けて投じた「別世界」の再生回数は、投稿から約二ヶ月経った今60万回を過ぎた辺りだ。こちらもホロライブの基準を知らない人の為に言っておくと、この数字は全然回っていない、大失敗の数字になる。ホロライブ所属のライバーの、日々の配信の再生回数は大体10万回程度で、事務所トップのスターライバーになると20~40万程度、ぺこマリのようなスター同士がコラボすると一時間ゆるく雑談しただけでも60万回ぐらい簡単に到達してしまう。そうでなくても歌動画というのは短い分再生回数を稼ぎ易く、普段の配信のアーカイブより何倍も回るのが普通だ。投稿から二ヶ月で60万回代を徐行運転している「別世界」はいいとこ100万回弱程で止まってそこからピクリとも動かなくなるパターンだろう。天音が持てる力の全てを懸けて放った起死回生の一撃「別世界」は完全に失敗だ。


他の歌うまホロメンと再生回数の比較

✔ 全てを自費・自作で賄って完成させたとは思えない、天音の「別世界」。曲・歌唱・映像全てが上質で、完璧な出来だが再生回数は65万回程。天音のオリジナル曲は他にも数点あるがギャグベースの物がたった一つだけ100万回再生を突破しているのみで、歌みたを含めても全体的に苦戦している状況。


✔ ホロライブ、並びにV界トップの「歌唱特化型」星街の代表曲「Stellar Stellar」の再生回数は2000万回強。別世界と比べると嫌味な程映像に金がかかっていない。

成功例過ぎて比べる意味もないレベルだが星街と天音は同世代で、デビュー前から肩を並べて歌い手として活動してきた仲。星街の方は何とも思っていないと思うがあまりにも差を付けられてしまった天音の、星街に対する心中はきっと穏やかではない。


✔ 5:47~ 星街のTheFirstTake出演の翌日、大バズり冷めやらぬ中リスナーに「すいちゃんのアレ見た?」と聞かれて「今関係ないがな」と取り合わない天音。星街のTheFirstTake出演はYouTube全体を震わす程の大事件で、この日も事務所の中が大騒ぎになっているような状況だったのだが天音に関しては努めて気にしないようにしていた印象だ。デビュー前から関わっていた旧知の仲の同僚が快挙を成し遂げた状況だと見るとあまりに冷たい。天音と星街のカップリング「かなすい」での配信はここ何年も行われておらず、不仲説が囁かれる程。


✔ 天音の同期角巻わためのオリジナル曲+アニメMV。アニメの作画が別世界に比べて何段階も劣り、角巻の歌は天音よりずっと下手くそだし作詞作曲も自分でやっていないが再生回数は300万回超。別世界ですら到達できるか怪しい100万回再生を角巻のオリ曲が簡単に達成出来るのは角巻自身が「自分は歌に力を入れて活動する」旨を強く公言している為だろう。角巻のチャンネルはホーム画面から再生リストまで歌関連を優先する形でレイアウトされている。雑談配信の際も歌やライブの話を中心に広げるので、角巻を知っている視聴者で角巻が「歌唱特化型」である事を知らない者は一人もいない。

天音は自分の意志を人に分かるように発する事自体が苦手で、「天音は歌を一番に聴いて貰いたがっている」という事実自体が未だにホロライブの中ですら浸透していない。天音がまずやらなければならないのは大枚をはたいて渾身の一作を作る事ではなく「自分は歌うまとしてやっていく」という意志表明をしていく事だ。

歌に関して全てを独立独鈷で行っている天音は視聴者はおろか、おそらく他のホロメンや自分の担当社員にすらその意志を伝えられていない。別世界に関しても「ガッキーに焦がれる想いを投射しました」とギャグっぽくお茶を濁す形で周知したようだがそんな姿勢で周りが本腰を入れて曲を聴いてくれる訳がない。


歌うまVの条件

✔ 別世界がここまで回らない事の原因の一端は、天音がこの曲と、歌う事に対して本気であるという姿勢を前面に押し出して拡散出来ていない点にある。視聴者は誰も天音がこの曲を聴いて貰いたがっている事と歌を本気でやりたがっている事の両方を知りもしないのだ。

天音は別世界をチャンネルのホーム画面に固定していないし、オリ曲の再生リストにも入れ忘れている。片付け・整理下手な天音は多分そうする事を単純に失念しているだけだと思うが1000万以上もかけた起死回生の一曲までそんな風に扱うなんて頭おかしいのかと言いたくなる。ついでに配信前の待機画面がいつまでもソーラン節なのも頭がおかしい。星街にしても角巻にしても歌唱特化型は皆あの場所に一押しの持ち曲を使用したハイセンスな映像を配置してアーテイストとしての自分をアピールしている。天音の配信待機画面も別世界の公開と同時にそれを使用したオサレな映像に差し変わっていて然るべきだ。

さらに星街・角巻・AZKiのようにホーム画面や再生リストのレイアウトを「歌唱特化型様式」に変更する事と「歌を頑張っていきたい」という事を平時の配信でこまめに発信していく事は必要最低条件になる。星街を追うにしてもまず「歌うま系」と認知されない事には始まらない。

歌うまとしてやっていきたい意思を明示しないまま入魂のオリ曲を上げたり歌唱力アピールをしたりしているが「多くは語りませんのでいいと思った人だけ聴いて下さい」の構えは通用しない。歌が上手いだけで視聴者が歌唱特化型として推してくれるなら宝鐘や不知火だって今頃TheFirstTake出演を打診されていておかしくない頃だろう。歌で一定以上に成功しているライバー共通の条件は「歌が上手い事」ではなく「歌に特化してやっていきたい意志を明示している事」だ。

まともな手順を踏んで「歌うま系」に鞍替えした時、別世界を始めとした天音のオリ曲は軒並み回り始めたちまち数百万回再生ずつを記録するだろう。根拠は角巻とかいうシンガーとしてはいいところ中の下の下手クソがそれを成し遂げている事だ。天音よりレベルの低い同期に出来ていて天音に出来ない道理はない。

前記事でも触れた通り、天音は病気だ。起死回生を望んでとんでもない大枚をはたく割にそれを雑に乱暴に扱い、「大事な我が子」として周知していく事もしない。意志と行動の統制が取れていないのだ。この支離滅裂なアクションと天音の自宅がゴミで溢れかえっている事の根は同じで、それは「天音は自分の意志や自分自身、自分の未来までもを大切に扱えない」という事だ。私の知る限りその特性を守ったまま成功した自由業の人間はいない。


普通のその先

✔ ちゃんとした手順を踏んでAZKiはもちろん、角巻クラスの歌唱特化型Vに成り上がるまでは比較的簡単だったとしても、問題はその先だ。天音がどんなに努力を重ねても、どんなに資金をつぎ込んでも星街クラスに到達する事は至難の業だろう。星街の才能が強過ぎる事もあるが、天音自体の素養の無さに依る所が大きい。

天音の歌唱にはセンスや個性が欠片も感じられない。歌唱力では大した差のない星街と天音の違いはセンスに裏付けされた「表現力」次いで「声質」にある。簡単に言えば上手いだけで何のインパクトもない天音が星街のように歌うまVとして突出するのは普通に考えて無理、という事だ。


フォニイで比較

✔ 数多のVがうたみたで取り扱っている「フォニイ」を天音がカバーした物。徹頭徹尾普通中の普通で感想を述べるなら「天音が歌ってるね」以外ない。この引っ掛かりの無さで歌い手出身だというのだから気の毒になってしまう。

後述する面々と比べて天音のフォニイが弱いのは歌い方に何の個性も反映されておらず、声にも華がないからだ。歌い方も声も只々「綺麗」で「上質」だがそれがこの界隈においては何の用も成さない事を端的に表した好例と言える。再生回数は114万回。


✔ 歌うま王星街の堂々たるフォニイ。序盤の「この世で造花より」から激しく引き込まれる。ドライでソリッドで突き刺すような歌い上げは星街自身の鋭い人間性を強く反映したものだ。

この二つを比べれば分かるようにV界隈の歌うまに必要なのは「歌唱力」ではなく「面白く、引き込まれる何か」だ。恐らく二人の歌唱力にそう差はないと思うが仮に天音の歌唱力を今の二倍に跳ね上げたとしてもVのリスナーは変わらずこぞって星街を推すだろう。再生回数は2955万回。


✔ にじさんじの歌うま王町田ちまのフォニイ。星街とは違い甘く儚げな歌声だがフォニィの持つ外連味と噛み合うと怪しく妖艶な印象に。歌唱特化型Vとしては間違いなく業界で星街に次ぐ二番手の実力者。まだ若く、恐らく湊や紫咲より歳下な超天才。再生回数は2040万回。


✔ 謎にロリボイスで歌った尾丸のフォニイ。半分ふざけて歌った物だと思うが素のスペックがいい事と歌唱力の高さで天音より全然聴ける仕上がりに。天音が可哀想だ。

再生回数は134万回再生でガチ中のガチで歌った天音のフォニイを上回る始末。天音が本当に可哀想。


✔ 歌に力など全く入れていない大神のフォニイ。この辺りまできてやっと再生回数が天音を下回るが歌自体は声質の差で大神の方がいい。再生回数は80万回。


Vの歌は「らしさ」が勝負

✔ 最近上げられた「KICKBACK」の歌みた。鋭く発声して頻繁に声を裏返す歌い方が星街を意識して寄せているように思えてならない。

そうだとすれば当然これは愚策中の愚策だ。センスも声質も全く違う者が「ウケがいいみたいだから」という安直な発想で星街を真似ても受け入れて貰える訳がない。自分の長所の一つ「器用さ」を過信しての事だろうか。


✔ 控えめに言ってすごくいい出来の「天使のagape」。垢抜けない声質も締まらない歌い口もこの曲になら完璧にマッチする。

大昔のファンタジーRPGのOPみたいな雰囲気のMVの作画は、別世界と比べるとずっと低質だがこちらも天音の雰囲気にマッチしていてすごくいい。現在製作されている天音のオリ曲で一番出来が良いのはこれで間違いないだろう。


✔ 荘厳な作風の「中空の庭」。MVも作られていないオリ曲だがこちらも天音によく合っていて別世界や「特者生存ワンダラダー!!」よりずっといいのではないだろうか。重過ぎて常聴は出来ないが悪くない出来だ。

天使のagapeや中空の庭に共通しているのは「垢抜けない」「重い」「シックで陰の気を孕む」「古臭い」「ややこしい」「高潔」「純粋」「優しい」等の作風的特徴だが、これは天音という人間を構成する特徴と完全に被っている。鋭くキレのある曲は鋭くキレのいい星街が歌うのがベストであるのと同じ理屈で天音は天音自身と特徴の似通った曲を歌うのがベストだと考える事が出来る。

当然そんな曲はそうザラにはないし、ニッチで癖が強い分常聴して貰いにくく、バズりにくくなってしまうが、それでも合わない曲をウケ狙いで他人に寄せて歌ったりする事と比べると遥かに生産的だ。


✔ 「陰鬱で影が差すような世界観を演出する事がカギ」という事に天音はどうやら思い至っているようだ。やたらと新調するモデルが不健康に包帯を巻いていたり闇堕ちしたりで必ずダークな風合いを含んでいる事、歌みたで扱う曲に暗めの物が多い事等にそれは表れているが、別世界に関しては少し欲をかいてしまったようだ。

この曲をMVと併せてストレートに受け取ると、推しに異常な執着を寄せるも、決して報われないまま終わっていくいちファンの物語となり、それは十分暗い話ではあるのだが曲自体は前述の「天使のagape」や「中空の庭」と比べると多分にポップで垢抜けていて、一般受けを狙うような作風だ。天音の歌い方もシュッとしていて、上の二つとは趣が全く違う。簡単に言うと別世界は天音に十分にマッチした曲とは言えない。

これは天音が最も嫌がる行いだと思うのだが、この別世界をよく聴いた上で「仮に星街に歌わせてみたらどうだろう」と想像してみて欲しい。そっちの方がずっといい仕上がりになりそうではないだろうか。これは天音に限った事ではないが、少しでも垢抜けていてスタイリッシュな風合いを含む曲は誰のオリ曲であったとしても徹頭徹尾全部星街に歌わせた方が仕上がりが良くなってしまうのだ。

Vのリスナーの耳は星街のせいで肥え太っている。「星街に歌わせた方が良くなりそうな曲を歌う天音かなた」を聴くぐらいなら例え何百回目であっても星街のチャンネルに飛んでStellar Stellarを聴いた方がずっといい時間になる。リスナーのそんな胸の内が分かり易く表れたのが「別世界65万回再生」vs「Stellar Stellar2000万回再生」、もしくは「天音のフォニイ114万回再生」vs「星街のフォニイ2955万回再生」という数的な結果だ。


V新時代の新ルール、「星街基準」

✔ では星街以外の歌うまVはこれからどうしていけばいいのかという話だが、まずは上の二つの歌動画を見比べてみて欲しい。

上は2022年末のシャッフルメドレーで星街が湊あくあの持ち曲「あくあ色ぱれっと」を歌ったものだが、下の本家本元を聴いた上で観ると違和感が物凄くないだろうか。自分大好きなオラオラ人間の星街が歌う「あくあ色ぱれっと」は弱々しい女子の心情を描いた本来のニュアンスを大きく曲げていて、湊が歌った場合と比べると全くの別物と言ってしまっていい程の仕上がりだ。ついでに言えばピチピチのメイド服に身を包んで踊るキャピキャピなダンスを、力強くキビキビとした動きでこなしていく星街は何もかもがミスマッチで、見る人によってはキツいまであるだろう。

要するに星街にも歌えない曲、表現出来ない世界観があり、全ての歌うまVはその隙間を突く事を念頭に置きつつ活動の方向性を定めていくしかないという事だ。気の弱い女子の初々しい心情を描くようなカマトトソングは湊に歌わせるのが適当だが角巻はアコギが似合うようなシンガーソングライターライクな曲を、AZKiには90年代のアイドルが歌うような爽やかなJ-POPを、町田は細田監督作品の主題歌に採用されるような文化系の曲を、といった具合に歌い手の特徴に合致していて尚且つ星街には歌えない曲を選んでいく事が令和の歌うまVの活動における必要最低条件と言える。天音の場合はビョークだとかCoccoだとか、鬼束ちひろみたいな陰鬱さと荘厳さを兼ね備えた楽曲を選ぶか、手嶌葵だとかジブリ作品の主題歌だとか、そんな清くて垢抜けない世界観を選択するのが妥当なのではないだろうか。

「星街が歌えないような曲を選択する」という作業は「この曲を星街に歌わせてみたらどうなるか」とシミュレーションしてみてその方が良くなりそうなら没にする、という手順を踏む必要があり、私はこの判定方法を殺人鬼の名前を冠したとある法令になぞらえて今後「星街基準」と呼ぶ事にしようと思うが、天音のオリ曲の中では筋の良い「天使のagape」や「中空の庭」は星街に歌わせても良くなる画が全く見えず、「星街基準」を完全にクリアしている。湊の「あくあ色ぱれっと」も大丈夫だが角巻の「My song」はかなり怪しい。「あくあ色ぱれっと」は誰に言わせても名曲だと思うが「My song」はそうでもないのでやはり星街基準は信憑性大なのではないだろうか。

星街基準をクリア出来る曲の特徴は「歌い手であるVの性質と特徴をそのまま強く反映している」事だ。自分らしさを明確化し突き詰め、曲にそのまま投影出来て初めて星街基準をクリア出来る曲は完成する。天音のように本来の自分らしさを捨て歌い方を誰かに寄せたり「売れ」を意識して別世界のような整った曲を仕上げたりしているようでは星街基準をクリア出来る曲にはなかなか出会えないだろう。

ここでも天音の「病気」が邪魔をする。これまでが辛過ぎて自分と自分の人生と、自分の運命を信じる事が出来ない天音は「自分らしさに目を向け際立てていく」事で人生を好転させられる気がきっとしていない筈だ。

最近歌い方を星街に寄せていると思しき天音だが、本当に星街に追い付きたいのなら倣うべきは歌い方などではなく精神性の方だ。自分が大好きで自分を、生きている人生ごと信用しきっている星街はもう十年以上も「自分らしさ」を突き詰める作業を欠かしていない。天音とは真逆と言っていいその活動遍歴が今の星街と天音の天と地程の差を生んでいるのだ。

星街の成功の理由は「歌い方」や「センス」などではなく自分を「らしさ」ごと愛せてそれを突き詰める事に人生を使えた点にあるが、これは何も星街に限ったことではなく、一角のホロメン全てに当てはまる特徴だ。「自分こそが至高の存在」という根拠のない妄言を吐く大空は何のアドも持たない癖に精神性だけでホロライブを築き上げてしまったし、只々愛されて育った兎田は意味不明な幸運に見舞われ続けているし、我が身を滅ぼしかねない程強力な「らしさ」に日々振り回されている宝鐘は環境最強のVだし、バカを直す事も叶わない程のバカに生まれついたさくらみこはバカだから愛されるし、再生回数やチャンネル登録者数の不振に晒されても焦る事なく、飛び道具に頼る事をしなかった不知火は今や大空に次ぐホロメン達のまとめ役だ。

それに比べれば天音なんか何でもない。他人に天音の良さを語る時一体何と説明すればいいのか私には全く分からない。無理に言葉を見繕うなら「他人に利用されても笑っていられる優しい人」か「自分の意志を表明する事も憚られる程腰の低い人」か、「どうやら歌は上手いらしい人」等だがそういうのをまとめて「魅力のないV」と呼ぶのではないだろうか。「自己肯定感が極度に低い」という天音の病気は現行で天音の人生と、天音自身の人としての価値を削ぎ続けている。天音がその事に気付いて歯止めをかける事が出来るのは早くとも彼女が若者を卒業してしばらく経った頃になるだろう。それまでの活動でこれといった何かを築かないままその年齢に達したライバーにその後一体何が出来るのか、私には皆目見当も付かない。


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