【01.天音かなた:66点】《静かにもがく人。沈む時は必ず一人で…》D(終 – VTuberレビュー(ホロライブ) –

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くじを引くか、山に登るか

✔ 天音の記事を書くにあたって天音のこれまでの活動を洗い直していて思ったのは、天音の病気は思ったよりずっと重度だったなという事だ。

一緒にいると幸せだ、心地いいと素直に感じた同僚とは距離を詰めず自分を無償の労働力として求めてくる、自分に一切の幸せをもたらさない同僚に求められるがまま一緒にいるのは自分に幸せや心地よさを探求する権利がないと端から決め込んでいるからだ。天音からしたらそれは「人間以下の自分」が当然行うべき「遠慮」で「献身」なのだが不知火や白銀、大空などからしたら「自分とはそんなに仲良くしたくないんだな」でしかなく、宝鐘や沙花叉からすれば「なんかこいつはこれでいいみたいだから使っとくか」でしかない。結果天音がシナジーのある仲間達に囲まれ力を付ける日はいつまでも訪れない。

思えば最良の友桐生と繋がったのも桐生が天音を見初めて繋ぎを取った事が切っ掛けだった。宝鐘や沙花叉と桐生が違うのは天音自体に人としての美点を見出していたかどうかだが、徹頭徹尾待ちに構えて桐生のような当たりばかりからお声がかかる程人生は甘くない。大空にしても、不知火にしても待ちに構えたまま得た人脈はほとんどない。求められれば何とでも応えてしまう人間は質の悪い人間に利用されて搾取され、満足のいく人生を生きられないのが常だ。



✔ 天音と宝鐘の関係性は正にこれ。



また「歌で成功したい」という強めの想いがありながらその為にやった事は結局「1000万円ガチャ」だけという常軌を逸したちぐはぐさも天音の病状の深刻さを物語る。素直に惹かれた目標に向けて邁進するような、上等な人生を生きる権利は自分にはないと思い込んでいる天音はどんぶり勘定の努力を雑に丸めて放り投げて後は皆さん勝手に評価して下さい、という逃げ腰で運任せの一手しか打てない。

星街が「歌で成功する」為に取った手段は「①2017年頃勢いを増しつつあったVTuberに目を付ける」→「➁自分の画力も生かせるしいけるかも、と当たりを付け2018年に個人勢としてデビュー」→「③集団で活動する事の重要性に気付き模索を始め、2019年にはイノナカに所属」→「④イノナカでは話にならない事に気付き、たった半年でホロライブに移籍(AZKiと命運を分けた瞬間)」→「⑤同僚同士で繋がり合う事でより見て貰える法則に気付き、歌と共にその方面も頑張る」→「⑥歌唱特化型である事をアピールしつつ、歌とライバーとしての活動のどちら共を継続して頑張る」といった具合で、宝くじでも買うかのように運を天に任せた天音に対して山に登るかのように一歩ずつ着実に目標に近付いた活動歴だ。

星街が「歌での成功」に向けて地続きのステップを一歩一歩、山でも登るかのように歩き続けたのは自分の進む先、地続きの未来に「目標達成」や「楽しい人生」みたいな幸せな将来が存在する事を全く疑っていなかったからだ。まだ到達していないだけでそれは必ずあるのだから後は変な事をせずまともなチェックポイントを一つ一つ辿って行くだけ、星街がVTuberとしてやってきた事はただそれだけだ。だから今ではカリスマ中のカリスマのような箔が付いている星街の過去の活動遍歴に奇跡的な事は一つも起きていない。まともな道を地道に通っているだけなので、2018年の同期デビューの売れっ子達と比べると極めて遅売れの部類に入る。

一方「歌での成功」に宝くじでも買うかのような運任せのアプローチを行う天音は自分の人生のこの先、地続きの未来に満足のいく結果が待ち受けているとは全く思っていない。まともな道筋をまっとうに歩いてもあるのは今までと同じ不運と苦難だけで、普通に進んでも到底望む未来は手に入らない、というのが天音の考えだ。下地作りを全く行わず別世界という「1000万円ガチャ」にのみ頼った天音は、何の努力もしない癖にうだつの上がらない生活が激変する事を夢見て宝くじを買う一般人にそっくりだが、そのどちらにも共通するのは「望む未来は永遠に手に入らない」という事だ。

これまでが幸せで、これから先の人生にも幸せが待ち受けていると当たり前に信じられる人間は物凄く強い。キズナアイや月ノのような強運に見舞われなかったとしても時間さえあれば着実に成果を上げてくるし、運任せでない分一度事を成したら絶対に揺らがない。星街と天音がホロライブでの活動をスタートさせたのはほぼ同時だが、たった3年でここまで差がついてしまった事を見てもそれは明らかだし、今後も運任せを継続するであろう天音と星街のこの差はきっと一生埋まらない。天音は自分が病気である事を自覚して生き方自体を変えない限りスタートラインにも立てないままだ。


静かにもがく人

✔ 幼い頃より人一倍の苦難に見舞われ、長い間その時を過ごした天音は精神的な痛点の大部分を損失し、「人以下の自分」を強固に固めてしまった。人は一度固めた自分をなかなか変えられない。幼い頃何かに虐げられた時と同じように沙花叉に蔑まれ宝鐘に利用され、理不尽な時間を過ごしている時、きっと天音は一抹の安堵に見舞われている筈だ。それは大空や星街が健全な人生を生きる事で安堵を覚えるのと本質的に同じだと言える。

例えば火災に見舞われて、全身に重度の火傷を負った人間は当然痛みに苦しむ。しかしさらに深刻な火傷を負って体表の神経を真皮ごと焼き尽くされた時、人はけろりとして「全く痛くない」と口にし、少し後に死亡するまでの時間をまるで傷など負っていないかのように気丈に過ごすのだという。

天音の病状というのは例えるならそういうものだ。痛くて辛くて堪らなかったのにいつの間にか何も感じない、全く痛くない。多分大丈夫じゃないけど、何も感じないから何をされてもどこまでが平気で、どこからが駄目なのか自分では判断も付けられない。だからまともな人生が生きられないし、考えてもどう生きていいか全く分からない。こんな異常な人間が人に迷惑をかけていい訳ないよね、フレア先輩や団長みたいなちゃんとした人には特に近づかないようにしよう。一人でどうしたらいいか分からないけど、取り敢えず運頼みでもしてみようか…そうして弱々しく生きて何も成せないまま死んでいく。

天音はデビューしてからずっと、一人で静かにもがき続けている。誰もそれに気付かないのは天音がその事実自体を用意周到に隠蔽しているからだ。歌で売れたかった事と、それに失敗して傷ついている事を多分天音は桐生にすら漏らしていない。

天音が今人生で一番頑張っている事は「沈んで死んでしまうまで、もがいている事自体を人に悟られない事、死ぬまで誰にも迷惑をかけないようにする事」だ。歌と違ってこちらの手腕は凄まじく、今の所完璧な仕上がり。恐らくこれが天音が人生で成し遂げる事の中で一番完成度が高い物になるだろう。


– VTuberレビュー(ホロライブ) – 02 に続く

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