ドラマ批評.04【エイリアン:アース】69点《無理矢理過ぎて最早〝アンチ〟ポリコレ》

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強引過ぎて最早〝アンチ〟ポリコレ




✔ これに関しては既にネット上に批判の声も多いのではないかと思うのだが、本作はちょっとやり過ぎな程にドぎつい〝ポリコレ作品〟だ。──────賛美されている具体的な要素は「有色人種」「女性」、否定されているのは「白人男性」と彼等による「権威」だ。

まず本作において〝エイリアン〟以上に〝ロボット〟の描写が多かったのは皆様お気付きな点だと思うが、これまで〝アンドロイド〟の名で一括りに呼ばれていた〝ロボット〟に今回は三つの種別が設けられている。

一つ目は『シンセ』で、これは「人工知能(AI)」を「機械の体に搭載した」存在。これまでの関連作で〝アンドロイド〟の名で呼ばれていたアッシュだとかビショップ、デヴィッド等は全てこの『シンセ』に分類される。

二つ目は『サイボーグ』で、これは既知の概念と同じ「体の一部が機械な人間」。今回は左腕がウィンターソルジャーな黒人キャラ「モロー」と肺を損傷して人工物と取り換えた主人公の兄がそれに当たる。

三つ目は『ハイブリッド』。簡単に言ってしまえば人工知能の代わりに人間の精神を搭載した『シンセ』だ。「大人の精神は硬直しているから」ということで子供の精神しか適合出来ない。

この三種のうち『シンセ』は「権威側の白人男性」、『サイボーグ』は「権威に屈した(主に大人の)マイノリティ」、『ハイブリッド』は「若い女性や有色人種」の、それぞれメタファーだ。だから主人公チーム(=ハイブリッドチーム)を作った権威側(=世界の五分の一を牛耳る大企業〝プロディジー社〟)の上層は全て「白人」か『シンセ』で占められていて、〝ここから先の世界を担うべき存在〟である『ハイブリッド』は全部(中身が子供でつまり若い)女性か有色人種で占められている。

『ハイブリッド』の体は、言ってみれば『シンセ』の体だ。「権威側の白人男性」により作られた『シンセ』、つまり「白人」の体に「白人」により押し込められ「我々と同じようになって役に立て」と強要される若く柔軟なマイノリティ達の精神はそれにどう抗っていくのか、というのが本作の裏テーマの主軸で、ポリコレテーマのメインプロットでもある。

シリーズ第6話でプロディジー社(=本作における〝白人による権威〟の最たる象徴)の最上級幹部である白人のシンセと競合企業であるユタニ社所属の黒人のサイボーグがエレベーターの中で「機械(=〝白人〟のメタファー)と人間(=〝マイノリティ〟のメタファー)が同居する自分が嫌でたまらないんだろう?」「うるさい、このオンボロロボット(=〝古き悪しき白人〟のメタファー)が」と罵り合うシーンがあるが、これはつまり「権威的な古き悪しき白人vs権威に屈して従属する道を選んだ、半分白人と化した黒人」のいがみ合いだ。本作にはこういった三種のロボットを〝白人〟〝白人が作った権威に従属する道を選んだマイノリティ〟〝まだ若くここから先の世界を担っていくべきマイノリティ〟という三種の層に見立てて組み立てられたシーンが数多く入れ込まれている。

ここ15年程ハリウッドを支配しているこういった〝ポリコレ〟描写は今やほとんどの大作映画に盛り込まれ「不自然だ」「見たくないものを押し付けるな」などと毎回非難の的にされ続けているが、この「エイリアン:アース」に盛り込まれたポリコレ描写はその中でも特に酷い。「主人公チーム(=ハイブリッドチーム)」が「白人&シンセチーム」に本格的に反抗し始めるのが大体シーズン最後の二話程度でなのだが、そこでのポリコレを意図して入れ込まれたシーンの数々が雑で不自然過ぎてそれまでの良い流れを全部ぶち壊してしまう。

例えば主人公チーム(と言うより主人公のウェンディ)が「プロディジー社(=つまり権威的な白人連中)は全員自分達をいいように扱おうとする悪人共だ」と気付いてからプロディジー所属の兵隊を虫けらのように無差別に惨殺したり自分に優しく接してくれた女性科学者(=このキャラもサイボーグと同じで〝白人に屈したマイノリティ〟の種別)を虐めたりし始めるが、これは「白人に対抗するマイノリティ」の行動としては明らかに行き過ぎだ。他の映画作品にも同様の主旨の描写はいくらでもあるが「権威的な白人側に付いた者はマイノリティであろうが何だろうがいくらでも殺したり迫害したりしていい」なんて恐ろしいラインをベースに描かれたものは基本的にない。

「主人公チーム」にはウェンディの他に4人(かあるいは5人)の女性・有色人種がいるが彼らの「権威側」に対する行いも明らかに行き過ぎていて、最早暴走した危険なアンドロイド集団にしか見えない。──────少なくとも日本人視聴者が彼等を観ていて思うのは「もっとやれ、白人共をぶっ倒せ」ではなく「ヤバいよ失敗作だよこの新作ロボットたち………」「早く誰か廃棄処分にしなよ………」だけだろう。

〝エイリアンもの〟として観れば優秀なこの「エイリアン:アース」の唯一にして最大の落ち度はポリコレ描写を雑に入れ込み過ぎて「マイノリティ賛美」ではなく寧ろその逆、「マイノリティの危険度・無責任さ・自分本位さを描写してしまっている」ことだ。

「ハイブリッド(=つまり女性や有色人種)の権利運動」に目覚めてからのウェンディはそれはもう本当に傲慢で偉そうだし、自分の都合ばっかり喋るし、自分の権利を守るためなら自分と同じ層に属さない人を平気で踏みつけるしで、その様子は現実のそういった活動をしているアホな女共と変わらない。「チーム」の一員で悪目立ちしていたメンヘラの女性ハイブリッドは意味不明な供述を繰り返しながら一般人を素手でちぎっては投げするただの化け物だし、アフリカ系やインド系の男性ハイブリッドは自分達に好意的な人の良い白人男性をだまくらかして殺害した上で開き直ったりで本当に全員たちが悪い。

白人男性を憎み虐げられた過去を叫び、権利を主張する彼らだが、彼らが絶対に口にしないことがあり、それは「自分達を受け入れ大なり小なりを与えて世話をし、活かしてくれた白人種」に対する感謝や敬意の言葉だ。

プロディジーの社長はバカで傲慢かも知れないがまず病気で近いうちに死ぬはずだった自分達を無償で生き長らえさせてくれた張本人だし、社の最高幹部のシンセ〝カーシュ〟は強面で冷淡だがハイブリッド達にとって頼れる師匠のような存在で、女性科学者は(結果的にやり方は間違ってしまったかも知れないが)ずっと愛情を注いで優しく接してくれたし、その旦那の白人男性科学者はシンプルに〝良い人〟で、ずっと権威(=会社)に対抗してまでハイブリッド達のことを守ってくれた。

そんな白人種達を、主人公チーム(=女性・有色人種チーム)は最終的に十把一絡げに牢に閉じ込めるか殺害するかなどして「お前達は終わりだ」「ここから先は私達の時代だ」と吐き捨てる。──────社長はいいとしてもいつも自分達の引率役で頼れる先生でもあったカーシュは半壊したまま同シリーズのアンドロイド特有の白く汚い体液まみれのままゴミのように放置されているし、自分達に愛情を向けてくれていたか弱い女性科学者までもが檻に押し込められた状態で、それを前にして我が物顔でその演説を垂れるハイブリッドチームはどう考えても〝危険でヤバい集団〟だ。

主人公側であるこのハイブリッドチームは「女性・有色人種」のメタファーだが、アメリカの実際の「女性・有色人種」が本当にこいつらと性質を一にするものなのだとしたら、そんな奴らにアメリカは絶対に権利も力も、機会も何も与えてはいけないし、良かれと思って助けてやることもしてはならないし、有色人種に関しては新規で国に入れるなど絶対にするべきではないし、出来ることなら国内にいる層に関しても自分の国にお帰り願った方が良い。『命を助けて』『衣食住を大幅に面倒見てやって』『仕事も与えて』『愛情や敬意を以て優しく接し』『学も技術も力も機会も与えてやった』にも関わらずちょっとの不満でかち切れて暴走し、武力行使に出て人まで殺し、クーデターを敢行するような奴らには絶対に何も与えてはならない。

普通に読むなら「監督が雑な仕事をしたせいで寧ろ〝アンチ〟になってしまった残念ポリコレ描写」なのだが、その〝雑〟の〝雑〟があまりにもなせいで昨今の風潮に内心辟易としている白人監督(=ノア・ホーリー)がハイブリッドチームをワザと化け物集団に描いてシャドー・アンチ・ポリコレを試みたのではないかと勘繰ってしまう。

もしそれが実際ならなかなか味な真似をしますね、といったところなのだが作品の出来はそれにより半壊してしまっているのでやはり大きな減点ポイントであることに変わりはない。

ここ10年程あらゆる大作映画にポリコレ描写が盛り込まれていることからハリウッドに「ポリコレ入れるなら金出すよ」という〝ポリコレ助成金〟みたいなシステムがあるのは確実だ。

一旦「ポリコレ描写ガンガン入れますよ」と言ってその助成金をせしめ実際はこの作品みたいにシャドー・アンチ・ポリコレをかまし密かにその風潮に対抗するという白人監督のやり口は、もしかすると今後のスタンダードの一つとして頻繁に見受けられるのかも知れない。


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