✔ 心なしか今年はやたらと繰り返された印象の箱内大会イベントだが、これも連発のし過ぎでぷよテト大会をピークに回を追うごとにどんどん盛り下がってきているようだ。近々で行われたスプラ大会はプレイ経験ありのメンバーが多い事もあって準備期間中同じチームのメンバーで深夜まで合同練習を行ったり作戦や使用武器を巡って時には白熱した議論が交わされたりもしていたが、当日を迎えてごく短時間のリーグ戦を行えば後はスッパリ忘れて次の日どころか当日中から誰もこの件に触れていないし、箱にも何の余韻も残さなかった。大会を矢継ぎ早に繰り返し過ぎて「準備期間中は全力で頑張る」→「当日を迎える」→「終われば即座に切り替えて次の仕事へ」の流れにホロメン全体が慣れ始めているような印象だ。
準備期間中激しく労力をかけて本番はプレッシャーで押し潰されそうになりながら戦い、終われば何も残らず余韻も記憶もすぐ消えるのは当然とてもバカバカしい。年に一、二度なら季節の催し物として悪くないかもしれないが二ヵ月置きとかそういうペースで繰り返すなら観ているリスナーも参加するホロメンも飽きて意義を見出せなくなって当然だし、大運動会のようにその存在の是非を問う流れにも繋がってしまう。「大会は結構出たしもういいかな」は最近色んなホロメンの口からやたらとよく聞くセリフだ。
「➁何か大会でもやろう」という従来の活動における最小単位を色んなホロメンが安易に擦り倒した結果こんなグダグダな状況が箱内に出来上がってしまった訳だが、個人のホロメンが「➁配信・動画・歌みたのような最小単位」を脳死で繰り返した結果ライバーとして死んでいく流れもこれとよく似ている。過去に何度も繰り返してきたような雛形を脳死で擦り続けるなら終わっていくのは人も箱も同じだという事だ。
この記事シリーズで既に書いた事だが、「➁従来の活動の最小単位」は「➁´広義の小プロジェクト」を初めに打ち立てた上でそれを成し遂げるのに利用する形でプロジェクトに組み込んでいく扱いが正しい。「➁箱内大会やろう」がこれまで何度となく繰り返してきた活動の最小単位で脳死で続けてもグダる一方な事は考えれば誰にでも分かる事なのでそれを何かしらの小プロジェクトを成し遂げるための一助として利用出来ないかと考えてみる。「➁´にじライバーと利益を共有し合えるような太い関係を築きたい」という小プロジェクトを成し遂げるために「➁スプラ大会」を利用するとするなら『スプラ大会~にじホロ大戦争~』とでもすればこれまでとは違った流れを生めて得られる効果も格段に増すだろう。
スプラトゥーンはにじさんじでもプレイ人口の非常に多いタイトルで、にじライバー達は恐らくスプラに関して業界最強はうち、ぐらいの感覚を持っている。しかし不知火や大神の様子を見れば分かるようにそれはホロライブ側も同じで、向こうの腕自慢とこちらの腕自慢を選抜してのリーグ戦はきっと苛烈を極める。今回は箱内でのチーム戦で既にそれぞれのチーム内で準備期間中火花飛び散る喧々囂々が交わされていたが対戦相手が他所の箱で業界全体が注目しているとなるとその比ではなくなるだろうし、これまでとはまた別の種類の緊張感が漂う事になるだろう。それが参加するライバーと観ているリスナーの両方に新しい刺激を与え箱ごとを活性化していく。
女さんという生き物は本当にアホなので、こういった形式で女性対女性のチーム戦をやらせるとその期間中相手方とは本気で険悪になったりもするのだが、終わればその瞬間に必ず雪解けして涙でハグし合うみたいな変な習性も持っている。要はDVよろしく緊張と緩和の相互作用が彼女達をおかしくさせてしまう訳だが、そういった経験を共有したなら距離を詰める事に関して今のような形でみみっちいコラボをちびちび繰り返す何倍もの効果が望めるだろう。こちらの選抜には不知火やアキロゼ、ゲーマーズのようなマイナーなメンバーが入る筈で向こうもそれは同じな訳だが彼女達に脚光を当てるいい機会にもなるし星街vs戌亥の殴り合いみたいなドリームマッチも望める。準備期間中イベントに参加しているメンバーの何かしらが相手方のファンによって炎上させられたりもすると思うがそれも大会の前振りとして盛り上げに丁度いい。
同じようなパターンで繰り返して盛り下がる一方の「➁箱内大会」という最小単位も少しスケールを上げるだけでこの通り全くの別物に化ける。活動に用いる最小単位を「➁これまでの最小単位」から「➁´広義の小プロジェクト」に格上げする事はやはり誰にとっても、何に関しても必須のメソッドだと言えるだろう。
✔ 9:09~ 重度の病み期から復活した宝鐘による近々のホラゲ配信。間違い探し的な要領でエリア内に異変が無いかをチェックしてからゴールを目指すゲームだが異常なハイテンションで滅茶苦茶なガバ探索を繰り返し同じステージを何度も周回する最早事故配信。──視聴心地が物凄くしんどい。
病み期を抜け切らないうちに行った配信で見る『病みマリン』は若干痛々しくはあるもののまだそれなりに笑い所はあって、弱っている女子が好きなリスナーからするとツボであったりもするのかも知れない。しかしこの病み期から抜けると決まって顔を出す『躁マリン』はうるさいだけで低機能だし無能だしはた迷惑だし、可愛くも面白くも何ともない。この切り抜きも呆れたファンによる静かな抗議の意味合いだろう。
激しい鬱→激しい躁ときたなら次は必ずまた激しい鬱と決まっていて、その繰り返しは何より本人を摩耗させ疲れ果てさせていく。この上下運動に関しても宝鐘はここ一年程で度合いを強めていて、いよいよ来年の5周年記念目前でパタりと事切れてしまう流れが目に浮かぶようだ。
感情主体で気分に任せてとかいう生き方をしている人間の成れの果てというのは得てしてこういうもので、気分を目安にして生きている本人はその上下運動でそれなりに動けたつもりでいるのだがその実前には1ミリも進んでいなかったりする。その事実に本人が、少なくとも来年の春頃までには気付き軌道修正してくれる事を切に願う。活動の最小単位を「➁動画・配信・ショート・歌みた・コラボ・大会」みたいな従来の最小単位から「➁´広義の小プロジェクト」に格上げした動きを見せるかどうか、そこに宝鐘の死亡ルート回避の可否がかかっている。