【①.バットマンやスーパーガールの体術メインのアクションシーンはそれなりにいい】
【①.ギャグがスベり続ける。監督に頭の中のイメージを映像化する技量がない】
【➁.ストーリーが観客を置き去りにする。監督に頭の中のプロットを分かり易く表現する技量がない】
【③.出演者に華がなく、話に興味が持てない。華がない脇役俳優×2のダブル主演という地獄】
【④.ヒーロー・ヴィラン共に貧弱。「弱体化スーパーマン、後期高齢バットマン、速いだけのやつ×2対ユニバース最古作品のボスヴィラン」の意気消沈ストーリー(しかも負ける】
【⑤.異次元出身のヒーローを軽視した脚本。愛せないなら出すな】
【⑥.フラッシュというヒーローの魅力を伸ばせない監督。その為の創意工夫が出来ない】
【⑦.アイディアの枯渇を飛び道具の連打で誤魔化したクソ映画。同日公開の「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」と同じヒーロー映画で多次元を軸にしているところも同じだが出来栄えに天と地程の差があり、監督の仕事ぶりもまるで逆】
✔ 「ザ・フラッシュ」は2023年公開のヒーロー映画。DCコミックスを原作としたDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)の最新作に当たり、スーパーマン、サイボーグ以外のジャスティス・リーグのメンバーも友情出演的に登場する。
本作は同日公開の「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」と同じ多次元宇宙モノで、どうでもいい話かも知れないがバットマン役の俳優がベン・アフレックの他に二人登場し、スーパーマン役も一人有名俳優が受け持つ。作中の雑談パートでも大昔の映画シリーズの話題が散々擦られたり古臭いマイナー俳優の名前が連呼されていたりで、本作は古い映画ファンに向けたサービスを意識している側面がある、がそんな飛び道具より先に映画の本筋をもっとちゃんと面白く仕上げる事の方が大事だよねという話。この映画にはこの他にも色んな「飛び道具めいた物」が詰め込まれているが肝心の本筋がガッタガタでスッカスカなので何をしても面白くない。
脚本の軸に「タイムトラベル」「タイムパラドックス」「多次元」を採用したのはもちろんDCEUお得意の「MCUストーキング」、簡単に言えばMCUの展開やキャラクター、その要素を何食わぬ顔でパクる事だ。
①2008年に「アイアンマン」から始まって2012年の「アベンジャーズ」までの盛り上がり続ける流れを見て「ジャスティスリーグ(2017)」までを視野に入れた「マン・オブ・スティール(2013)」「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生(2016)」と共にユニバースを始動させ、➁アイアンマンの「金持ち属性」とキャプテンの「無能力+自己犠牲の精神」をバットマンに、③アイアンマンの「超高性能機械兵器」の属性をサイボーグに、④盾持ちで泥臭い体術を用いて戦うキャプテンのスタイルをワンダーウーマンに、⑤ソーの海版アクアマンを用立て、⑥2014年の「X-MEN:フューチャー&パスト」で話題になったクイックシルバーの「スピード」と若くて未熟でペラペラとお喋りなスパイダーマン的性格を併せ持ったフラッシュも採用、⑦強過ぎるスーパーマンはハルクと同じで度々隔離されるか暴走し勝ち、といった具合で「ジャスティス・リーグ」は「アベンジャーズ」成功を見てそれを構成する要素を後出しでパクって組み立てられたシリーズだ。
他にもMCUで大ヒットシリーズを担当したジェームズ・ガンを助っ人としてユニバースに招き入れたり(結果大成功)ファルコン・アントマン・デッドプール・ドクターストレンジのパチモンが同時に登場する作品を作ったりとそれはそれは厚顔無恥な行いをDCEUは繰り返してきた訳だが、今回「タイムトラベル」「タイムパラドックス」「マルチユニバース」の三つが同時に採用されているのはもちろんMCU最大の作品「アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)」の成功を見ての事だ。多分DCEUの製作チームのトップには中国系か韓国系の血が流れている。
この映画にはやはりと言うか何と言うか、序盤から「X-MEN:フューチャー&パスト」やその続編でクイックシルバーが見せた「超高速の世界に突入して人々を救う」描写のパクりシーンが入る。そこでフラッシュは腹が減っては戦が、とばかりにモソモソベチャクチャと空中で飯を食ってから救出作業に入るのだが、まずそれがいらない。瘦せの大食いというモテ属性を付与したかったのか大食いキャラのチャーミングさが欲しかったのか、エネルギーが切れると能力使用不可になる縛りを設けたかったのか知らないが高速の世界に入ってスタイリッシュに人助けするシーンでテンポを台無しにしてまで余計なターンを設けるべきではない。それがないからクイックシルバーのあのシーンは名シーンなのに、この監督はそれが全然分かっていない。
冗談みたいなプロットなので本家の方も多分にギャグ要素が盛り込まれているが、フラッシュのこのシーンに盛り込まれたギャグは全部面白くない。飯を食うシーンは存在自体が蛇足だが食う物も食い方も何もかも捻りが無く地味メンがグチャグチャやってるだけのダレトクシーンだし、赤ちゃんを一列に並べて「ta-dah~♪」も面白くないし、それを受けて狂ったように悲鳴を上げる看護師もうっとうしい。
どのプロットも映画あるあると言えなくもない物だったりするのだが、それをそのイメージ通り再現して映像化するのがこの監督は病的に下手だ。経験に乏しい監督ではあるのだが、そもそもベタベタな映画あるあるをそのまま再現しようとするところに発想の貧困さを感じるし、実際やろうとして失敗するのは技量と言うよりセンスの無さの表れだろう。バットマンやスーパーガールのアクションシーンだけは割といい物を撮っていて、殴る蹴るの泥臭いアクションはそれなりに上手いようなのだがジョン・ウィックでもない限り大体の映画はそのほとんどがそれ以外の要素で構成されていて、アクション以外全部下手なこの監督はやはり才能ナシの部類に入ってしまう。
高速救出シーンの粗はまだあって、フラッシュが高速の世界に入るとそれが分かるように画面はセピアに近い赤茶けた色に固定される。クイックシルバーのあのシーンは時間の流れ意外は画面の色も何もかもが元のまま固定されていて、その表現が「時間が止まっている=クイックシルバーだけが高速で動いている」事を強調する。またほとんどが元のままで時間の流れだけが止まった世界は非常にシュールで目が釘付けになってしまう。エンドロールの序盤で当該のシーンを救出される犬目線で撮った物が流されるが、「犬目線」な為画面の色はクイックシルバーと同じ元のままで、やはりそれがシュールな空気感を演出していて面白い。画面の色一つとっただけでもその結果生まれる差異は殊の外大きい。
また高速世界に突入した後食事を摂ったりいやにあれこれ考えながらおっかなびっくり作業を進めたり、赤ん坊を電子レンジに入れたり(コンセントが抜けているとはいえすごく気分が悪い)とおかしな行動を繰り返すフラッシュだが、これは①燃費の悪い能力でエネルギー消費が激しく、底を尽くと食事でエネルギー回復を図る必要がある➁生き物を直接掴んだまま高速移動するとダメージを与えてしまう。電子レンジに入れた状態ならいい、といった縛りに依るものだという事が後から分かる。そしてそれがまた要らない。「スピード」という能力のスタイリッシュさが阻害されて画が面白くなくなってしまうぐらいならどんな縛りも取っ払ってしまうのが英断だし、その判断が出来るのがいい監督だろう。序盤のたった一つのシーンだけをとっても粗や齟齬や判断ミスをこれだけ重ねてしまう監督はその時点で「ハズレ」と判断して間違いない。映画を観慣れている観客ならこの時点で残り二時間の地獄を耐え抜く、覚悟の準備を始めるところだ。
クイックシルバーのあのシーンの秀逸さは「X-MEN」シリーズや「ボヘミアン・ラプソディ(2018)」で有名な天才監督ブライアン・シンガーのセンスに依るものだが、本作の監督はそれを後出しでパクっておいて何重にも改悪を重ねている。この映画の敗因は「DCだから」とか「多次元モノは難しい」事より何より「監督の質が悪いから」だ。DCEUは大抵毎回そうだがじゃあなんでまともな監督を用意しないのか、といえばそれは「DCの看板を背負って」「MCUをちょいちょいパクっておけば」それなりの収益が見込めてそれ以上質を追求する必要性がないから、といったところだろうがこれはパチモンブランド商品を作って売る闇業者のスタンスと完全に一致する。
✔ そんないい加減な想いで展開されてきたDCEUは、開始から丁度10年経つ今も面白さの意味で全く軌道に乗っていない状況なのだが、今回はそれを分岐させて多次元化するストーリーで、ユニバースを構成する様々な要素をコピーして複製したり、それを元に改変したり発展させたりした物がさらに追加されるという事なのだが、これは「面白くない」が何乗にも掛け合わされていくという事で、悲惨極まりない。
「キャプテン・アメリカ」や「アイアンマン」、「ソー」、「スパイダーマン」、そして「アベンジャーズ」は「面白い」が「フラッシュ」と「DC映画」は「面白くない」。マーベルを構成するそれぞれを多次元化で増幅させれば「面白い」もその分増幅されていく事になるし、キャプテンに対するキャプテン・カーターだとかスパイダーマンに対するスパイダーグウェンのような変種も「面白い」が味変されているような状況で楽しめるだろう。
しかし「DC」とか「フラッシュ」みたいな「面白くない」物が増幅されるのは観客にとって罰ゲームでしかないし、スーパーガールやおじいちゃんバットマンみたいな味変を加えられても元が不味いので当然不味い。本作が酷い出来上がりになっている事の裏にはこの「【面白くない】の乗算」が強く関わっている。
分かり易い所で言えば今回は時間旅行のお陰で二人に増えたフラッシュがダブル主人公を務めている訳だが、演じるエズラ・ミラーは生粋の脇役俳優だ。神経質で陰の気を孕んだキャラクターは無敵の人とか殺人鬼をやらせるとドはまりする属性で、分かり易さと華々しさが求められる大作ヒーロー映画の主人公には基本的に向いていない、にも関わらず本作ではその二乗が主人公を務めている。脇で一癖も二癖もある役柄を演じて定期的に見切れるぐらいが丁度いい俳優が二人してずっと画面を占拠しているのはあまりにキツく、圧迫感と倦怠感が物凄い。若者が玄人ぶりたくて鑑賞する単館上映系の映画ならまだしもこういう方向性の映画でこのキャスティングは有り得ない。
また「フラッシュ」というただただ素早いだけの脇役ヒーローをシンプルに二人用意しただけなのもキツい。全く違いを出さないのはさすがにマズいと思ったのかスーツの仕様のせいで電撃が放てたり物質透過の力を利用して体に鋭利な金属を取り込んで武器化したりしているがこれは「フラッシュの派生」というより「フラッシュというヒーローのアイデンティティの崩壊」だ。壁を透過したり時間旅行が出来るのはフラッシュの最たるアイデンティティ「速さ」を極限まで活用した結果かも知れないが「電気」や「刃物」に頼るのは速さで勝負してもいなければ「フラッシュらしさ」を体現してもいない。これはルフィが「ゴム」の性質を利用して自身を強固なゴム弾に変えた「バウンドマン」ではなく「アベンジャーズ(2012)」でキャプテンにアサルトライフルを使用させたテコ入れに近い。ヒーローのキャラクターやアイデンティティを理解していない監督がやり勝ちな事だが、この手の演出が施されているヒーロー映画は監督の作品への造詣が浅いだけに漏れなく全部が駄作だ。
「同型のヒーローが二人共演する」と言えばアイアンマンシリーズのアイアンマンとウォーマシンが正にそうだが、アイアンマンに対して相当な改変を加えているにも関わらずウォーマシンのアイデンティティは「鉄の装甲に飛行能力、そして全身に兵器を装備している」という事でアイアンマンと何も変わらない。「兵器」と言っても色々で、アイアンマンは中~遠距離戦に特化したエネルギー兵器がメイン、ウォーマシンは近~中距離に特化した実弾兵器がメインでもっと泥臭く、鉄の棍棒みたいな物まで装備している。「ヒーローのアイデンティティを崩さないまま差別化を図る」というのはこういう事だ。
今回フラッシュが時間旅行する事で出会ったもう一人のフラッシュは主人公と違う人生を歩んでいるので性格が違い、自由で自己主張が強く、破天荒で好戦的でもある。それを活かして二人目のフラッシュは素早さを活かした近接戦闘で相手を殴り倒すようなスタイルにすればもう少し面白味が出たのではないだろうか。名作漫画「ハンター×ハンター」にも丁度「電気×素早さ」のキャラクターがいるが、彼の能力の使い方は「俊足で広域を駆け回る」と「手に負えないスピードで相手を殴り倒す」の二通りで、多分素早さ特化のキャラクターだとこういったバリエーションの出し方が現状ベストだ。「素早い」というアイデンティティを崩さないまま差別化し、画や展開に大きな影響を与える事が出来る。
二人目のフラッシュが最終バトル突入前にバットマンに貰ったスーツを改造して自分用に仕立て直す展開があるが、私はこれをレッドデス(バットマンとフラッシュを掛け合わせた原作のキャラ)誕生の前フリと受け取って「じゃあ二人目のフラッシュはスピードとパワーで蹂躙する凶暴なキャラでいくのか…?」とささやかな期待を寄せたのだが、頭部分の角をご丁寧に鋸で引いて切り落としていたので多分これは何のオマージュでもないのだろう。オリジナルと違うスーツを着るのはキャラ被りを打開するいい機会だったと思うのだが、せっかくの黒色も赤に染め上げてしまって、結局二人のキャラ被りはそのままだ。アイアンマンとウォーマシン、ついでにレスキューを見ても分かる事だが彼らは類似キャラでもカラーリングのお陰で同じ画面に映っても全く混同しない。「色」がそのヒーローのアイデンティティになっている事は多くない。キャラ被りを避ける為に二人目のフラッシュのカラーリングぐらいは思い切り変えるべきだったが本作の監督はヒーローのアイデンティティがどこにあるのか分かっていない人なのでカラーリングとかいうどうでもいい所は頑なに守る癖にもっと大事な「能力」には安易に改変を加えてしまう。
「マン・オブ・スティール(2013)」とかいう面白くない映画のヴィランの再登場、キートンバットマンとかいう今となってはどうでもいい部類のバットマンも再登場、スーパーマンとかいうつまらないヒーローには「女性化」という味変が加えられ、面白くないからやっぱりそれも今作限り。フラッシュ、DCEUのマルチユニバース化によってもたらされた増幅・味変はどれもこれも余計な物ばかりで悲惨極まりなく、完全に裏目に出ている。10や50を増幅すればまだ救いはあったかも知れないがDCEUを構成する物はそのほとんどが質の意味でマイナスの存在だ。それを分岐させて多次元化させて増幅させて、味付けを施して引き延すなどどうかしている。
ユニバースにどんな展開を施すにしても、まずはちゃんと面白い映画を、ちゃんと一本作るところからだ。面白くて観客の心を掴む作品に新キャラが加わって展開が生まれて、広がって繋がって進展していくから意味がある。フラッシュの多次元モノが作りたいならフラッシュの面白い映画をちゃんと作ってからにしろや、平たく言えばそういう話だ。
この話は何も多次元化に限った事ではなく、一つの映画シリーズを長期間に渡って進行して行く事自体にも言える。「次作」や「次々作」は当然「前作」を基盤にして作られる。アイアンマンやソー、キャプテンアメリカが最初の単体作品で魅力的に描かれていたからこそ彼らが一同に会する「アベンジャーズ」が面白くなる、アベンジャーズが面白いからアベンジャーズ2、3への期待が高まる、追っているうちに彼らの事が本気で好きになる、メンバーが死別すれば我が身の事のように苦しみ、そして次世代へと希望を託したくなる。何もかもが「一作目を面白く作る」事から始まるのにDCEUはまだその最初の一歩を踏み出してすらいない状態だ。
ユニバースを面白くしたいならまずDCの大看板バットマンやスーパーマンの面白い単体映画をちゃんと作れ、DCEUに言える事はただただそれに尽きる。
✔ DCEUの最新作「ザ・フラッシュ」は劇場で観るには全く値しない駄作で、またかDC、やっぱりかDCと肩を落とす出来栄えだ。見所は全部で2分ぐらいしかないバットマンやスーパーガールのアクションシーンのみで、「2分=2000円」を惜しいと思わない人にだけ劇場での鑑賞をお勧めしたい。
同日公開の「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」と同じヒーロー映画でマルチユニバースを軸に物語が展開し、主人公の最たる敵も「パラドックス」という事で何もかもが被った完全な類似作だが、併せて観る必要は全くない。これを観るならあっちをもう一回観た方が絶対にいい。
ただ一つ思うのは「アクロス・ザ・スパイダーバース」と「ザ・フラッシュ」では主人公が最大の敵「パラドックス」に対して採った選択肢が完全に真逆だったのは面白いなという事だ。どちらの作品にも主人公と真逆の選択をして闇落ちしてしまった敵対キャラが存在するが、片方の作品の敵対キャラはもう片方の作品の主人公と完全に同じ選択肢を採っている事になっていて、これも面白い。言ってみれば「スパイダーバース」の主人公マイルス・モラレスとフラッシュは「パラドックス」という敵に対して全く真逆の対応をとる、同じ世界線に居れば敵対する関係になっていた筈の存在同士だという事だ。
二つの作品の「敵対する闇落ちキャラ」に共通するのは「自分の採った選択肢に固執した」という事。「パラドックス」への対応は「パラドックスに真正面から抗う」か「パラドックスに身を任せる」かの二つだが、二つの作品を見比べて分かるのは「大事なのはどちらの選択肢を採るかではなく、採った選択肢に固執するかしないか」だという事だ。これは健全な良き人生を送る上で重要なポイントのメタファーにもなっていて、その気付きを得た事が「ザ・フラッシュ」をこのタイミングで観て良かったと思える唯一の点でもある。
「アクロス・ザ・スパイダーバース」みたいな名作を劇場で鑑賞する上で注意しなければならないのは「字幕版で観てしまうと一緒に観ているガイジン共の笑い声が五月蠅い」という点だ。余程の田舎でもない限りどの劇場で映画を観ても昨今多数の外国人と一緒に鑑賞する事になるが、彼らは本気で五月蠅い。一度その映画を気に入ると笑い所ではないところでもわざとらしく大声を張り上げるので本気でうっとうしい。名作映画の鑑賞を邪魔するぐらいならいっそ死にやが……自分の国に帰って欲しい。
「スパイダーバース」を観た後私は立て続けに字幕版でこの映画を鑑賞していて、もちろんそこにはついさっきまで二時間ぶっ通しでマジでぶっ殺してぇと思い続けた憎き外国人達の姿もあったのだが、彼らは上映時間中一回も笑わなかった。つまりはそういう事だ。