映画批評【デッドプール&ウルヴァリン】48点《誰も望まぬカム・バック》

映画
Ⅲ【誰も望まぬカム・バック】

✔ 私ももうそれなりにいい歳をしたイケメンの(リアルにモテるタイプの)おっさんで、アメコミは昔から好きでもあったので当然それを原作とした、それこそこの映画で今回カムバックを果たしたようなキャラ達が出ていた作品も余さず観ていたりもする。中にはまだ子供だった私の心象風景に食い込んで居付いたままそこを離れない作品もあるし、なけなしのお小遣いをはたいてブックオフで中古DVDを購入し何となく未だに捨てられない(Disney⁺にあるのに)ままでいる作品もある。

それでも今回彼らがこの作品でカムバックを果たして嬉しいかと言えば、全然嬉しくない。本作は言ってみれば「ノー・ウェイ・ホーム(2022)」でやったような「過去作全員大集合」をもっとマイナーなマーベル関連のキャラ達で行ったようなものだが、「ノー・ウェイ」での過去キャラ達の集結を見て感情が高ぶる人は居ても今回に関してなかなかそれはないだろう。理由は「ノー・ウェイ」で集結したキャラ達は多数の人に本心から「今猶強く愛されて」いながら大人の事情で「惜しまれつつも失われてしまった」キャラ達だからで、今回のキャラ達はそのどちらでもなかったからだ。

本作でカムバックを果たした目玉キャラの一人が「私達は忘れられている」と第4の壁を突き破った発言をしているが、その人物を今回見て誰だか認識出来た観客はきっとその人物の事を出演作品の視聴以来忘れていない。きっと今でも他の作品で見かければ「あ、○○○○○じゃん」と思わずキャラ名で呼びそうになるだろうし、今回見て分かったという事は定期的に思い出してネット検索をかけたりストリーミングサービスで復習したりもしているかも知れない。

私だってそのクチだが、今回のカムバックに関しては「あぁ、あぁ」「どうしたのまた」としか思わない。理由は彼らの出演作が「駄作だったから」「当然の結果として終わった」だけで「カムバックする必要も別になかったから」に他ならない。────ボブ・サップをメインヴィランの一人として採用しているようなお遊びのC級作品でポシャッて消えただけの人に「忘れられてる」って被害者面されても………あんたんとこと「デビルマン(2004)」ぐらいでしたよ、そんな事してたの。

そんなズレズレの妄言を口にしたキャラと横並びで登場した目玉のカムバックキャラ達だけでなく、終盤まるでモブキャラかのように主人公チームと戦ったヴィラン達の中にも私が謎に(性的な意味で)執着しているアジア系のウルヴァリン・キラー(女性。単純な殴り合いでマジでウルヴァリンより強い)だとかイケメン過ぎる赤い悪魔だとか、ザコ能力の癖にシュッとしていて何故だか格好良く見えて仕方がない紫の光る武器の人だとか、そういった無名だがぴりりと辛い過去作キャラが恐らくほぼ全員当時のキャストのままにカムバックを果たしているのだが、正直全員どうでもいい。

全員当時の出演作で終わって当然のキャラ達だったし、戻ったところでシリーズが長年抱える何かしらのしこりのようなものが解決される訳でも、本質的な何かが叶えられる訳でもない、そして何より彼らを覚えていて好意を寄せてすらいるファンですら彼らが戻って来る事は全く期待していない。「忘れられている(=忘れられて当然)」なキャラをマルチバースこれ幸いとばかりにこれといった意味も目的もなく、客から求められてもいないのに呼び戻すのは製作側の最早オ〇ニー行為と言って過言ではないだろう。

エンドロールの初っ端で旧X-MEN三部作を中心とした作品群の名シーンだとか撮影の裏側の映像だとか、インタビュー映像が継ぎ合わされたものがしばらく流されるが、確かにそれらの中には不朽のと頭に付けてもいいぐらいの名作がいくつか紛れている。まだ若く初々しいヒュー・ジャックマン(一番若いもので当時30代の頭頃・シリーズ初作が映画俳優としてのキャリアのほとんど最初)の緊張とパッションの入り混じった、最早愛おしいような貴重なインタビュー映像も観られ、察するに過ぎ去りしかけがえのないかのシリーズにまつわる時間を懐かしみ惜しむ製作側の気持ちの一本槍でこの映画の製作は行われ、「無用なカムバック」もその勢いのままに行われている。

X-MENシリーズとその一番の立役者であるヒュー・ジャックマン、ついでにその他諸々のマーベル作品を大切に思う気持ちは本物だとしても、今回結果として製作陣が行ったそれらの行為はやはり大きく的を外している。

本当にシリーズとそれにまつわる何もかもが大事なら今回の映画は脚本をしつこく煮詰めて純然たる名作に仕上げる方向で努力はするべきだったし、どうでもいい些末なキャラ達を自〇行為的に引っ張り出して来て愛でるより作中で置物でNPCのようになっているヒュー・ウルヴァリンのキャラを慎重かつ的確に作り込むべきだっただろう。「シリーズを愛している」のに「その後継シリーズである本作を中途半端な駄作に仕上げる」、「ヒュー・ジャックマンと彼の演じるウルヴァリンを敬愛している」のに「初老の彼があと何回まともな形で演じられるか分からない貴重な機会の一回を無駄にする」、こんな本末転倒な話もないだろう。

本作の敗因は「脚本の作り込みの甘さ」でも「製作方針の違え」でもなく「老いて弱ったジジイ(製作者)特有の憐憫を孕んだ脆弱な精神」だろう。中年以降人は歳を食えば食う程弱って日和って使い物にならなくなっていくものだが、第一線で何十年としのぎを削ってきたような映画人であってもそのご多分には漏れないという事だ。

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