映画批評【デッドプール&ウルヴァリン】48点《誰も望まぬカム・バック》

映画
Ⅳ【教えて、先人ズ ~ケツ穴の締め方を~】

✔ 「デッドプール&ウルヴァリン」は骨太な熟年監督により従来のシリーズ作の魅力を見事に受け継ぐ事には成功したものの、脚本面の作り込みの甘さに代表される様々により超絶微妙な仕上がりになってしまった駄作の類だ。強烈な映像美あり、派手で大掛かりでよく出来たアクションシーンありで劇場で観る価値もない事はないのだが、主演の二人や「MCU」&「X-MENシリーズ」及び過去30年程に渡るマーベル映画に強い思い入れがない場合総合的に見て苦痛な二時間になる事は間違いない。

デッドプールが作中で言っている通り「MCUは目も当てられない下げ調子」でその最たる原因は「マルチバースでとりとめもなくあれこれガチャガチャとやり過ぎてしまった事」だし、今後も続けるつもりなら「マルチバースとかは止めにして一旦全部仕切り直すべき」だ。当のMCU作品内でそこまで図星を突いた物言いをしてしまうなんてさすがはデッドプールと一旦関心してしまうところだが、何の事はないこの映画自体もその「マルチバースが悪さをしているMCU作品」の典型だ。何でもありなのをいい事に弱ったジジイ監督が己の憐憫を満たすためだけにどうでもいいモブキャラ達を呼び出した一連の流れは正に「マルチバースが悪さをしている」。

本作の序盤でMCUファンのほとんど全員が理解したと思うが、「マルチバースがある」という事は「MCUの過去作で失われてしまったキャラを誰でも、何度でも蘇らせる事が出来る」という事でもある。失われてしまった瞬間我々の誰もが最も胸を痛めた、また失われた事自体がMCUがここまで凋落している直接的な原因にもなっているあの二人ももちろんご多分に漏れず、本作の序盤はそれをネタバレ的に、非常に直接的な形で先〇り汁してしまっている。

「いつかあの二人も帰って来るんだろうなぁ」と客の全員が思っている中シリーズが本気でどうしようもなくなった時、或いは終わる時にやっぱり思っていたその通りの手法で帰って来る、そんなグダグダとした展開もないだろう。シリーズ中一番愛され惜しまれ続けている、またこのシリーズの再生に最も必要である筈の二人の帰還ですら「グダグダ確定」。いよいよ進退窮まってきた、否「マルチバースが(シリーズの)進退窮めてきた・・・・・・・な」といった感じだ。

あらゆる「文化」には「寿命」がある。

単体の映画作品には大体二時間程度の、それを三本前後まとめた映画シリーズには十年弱程の、それらをいくつも巻き込んだMCUのような大ユニバースにも当然、それが活き活きとしていて前向きに純粋な気持ちで求めて貰える、また作って貰える「寿命」がある。MCUであれば2008年の「アイアンマン」からなので今までだと仮にするなら16年、X-MENなら2000年が一作目なので24年という事になる。

映画の枠を超えてもYouTubeがテレビを終わらせに来た途端最大にして最古のアイドルグループが変態ジジイとその私設男娼集団でしかなかった事実が明るみに出たり有名タレントの自殺が連発されたり、お茶の間を長年温め続けたご長寿番組が立て続けに終了したり松本人志がただの下品なエロジジイでしかなかった事実が好評されたりでもうしっちゃかめっちゃかだ。松本人志はどう考えてももう終わりだがその後釜候補は彼の支配下でそのキャリアの全てを彼の草履取りに費やして来たパンピーしかおらず、ここ数十年日本のテレビ界を支えた「笑い」の文化も一旦ここで幕だろう。AKBみたいなアイドルグループにしてもそう、シンガーやバンド、歌みたが連発されるような流行りの曲にしてもそう、鬼滅みたいなアニメ作品にしてもそう、YouTuberやVTuberにしても、それらの中に内在する各種流派にしてもそう、新旧問わずあらゆる枠組み、あらゆる単位の「文化」には必ず「寿命」がある。

「文化」に寿命があるのなら、当然その担い手である「文化人」にも寿命はある。松本人志なんかで言うとかのスキャンダルが出る前から顔の皮はダルダルだし笑いも動きも精彩を欠いていたしでその点顕著だった訳だが、本作でカムバックを果たしたウルヴァリンを演じるヒュー・ジャックマンにもその類の陰りはやはり見られる。体は相変わらずよく鍛えてあるがあらゆる挙動からキレと反射神経、ハリが感じられず、おニューにしてクラシックなコスチュームにしても年下でまだわんぱくなライアン君との掛け合いにしても、あらゆるカットで大なり小なり無理をしているのは明らか。心なしかクリント・イーストウッド(まだ存命…)にも似てきた皺っぽいキメ顔を観ていると体ももうCGか4以降のターミネーター・シュワルツェネッガー方式でいいんじゃないのと思ってしまう。

「映画」にまつわる「文化人」なら映画監督もその最たるものだが、本作みたいに(ほとんど個人的な)昔の思い出を引っ張り出して来て郷愁に浸る、寧ろそのために監督業を利用し作品の質の突き詰めをそっちのけにしてしまうようになってしまえばお終いだ。本心から映画文化を愛しそのために生涯を捧げ、節々でそれなりにいい仕事もしてきた彼もそろそろ「寿命」が近いという事だろう。

個人的な小並感で恐縮だが、願わくば人間誰しも「寿命」が尽きるその最後の時まで前向きかつ活き活きと、建設的に生きたいものだし、また生きていて貰いたいものだ。お気持ち・マジレス・いいねによる承認欲求満たししかしなくなってしまった笑いの神だとか、ハヤオみたいに辞める辞める詐欺からの復活劇を演じてみたりだとか、或いはそのハヤオにしたって、老化による脳の痩せ細りと死期が近づく事による恐怖からの心の弱りで醜態を演じるのは是非にやめて貰いたい。「この人達であっても最後はこんなもんなんだ」と思うと人生この先が楽しみでなくなってしまう。

私個人は晩年は、願わくば後進に「この人だけは歳食ってもやっぱ違うな」と思わせる年寄りでありたい───リドリー・スコットのように、デイヴィッド・リンチのように、夏木マリのように……………「人間」という弱く儚い生き物が自分の人生に意地を張り矜持を保つ方法はきっと他にはありはしないのだから…………

あと最後にライアン・レイノルズとチャニング・テイタム、もういい加減他人の映画に悪ふざけ目的でカメオ出演するのやめにしないか。過去作からのカムバック組の中に有名キャラの出で立ちで横並びで登場した時「え、シリーズ作に登場したあの役者と同じ人…?」「歳食ったし顔回りも衣装で覆ってるしで別人に見えるだけか…?」「なんかチャニング・テイタムに似てるけどこの並びでこのタイミングでではまさか出て来ないだろ…」などと思案した時間を返して欲しい。───横の二人は再起をかけて腕まくりした状態で本気で出て来てるんだわ。邪魔です、消えて下さい、少なくともレイノルズ作品には二度と顔を出さないで下さい、レイノルズもチャニング作品に二度と出て来ないで下さい、ブラピ作品にもやめて下さい。ブラピが二人の作品に出るのは可です。

レイノルズ、テイタム、ブラピ辺りは仲が良いのか本作の監督繫がりか互いの映画に互いが本当に良くおふざけのカメオ出演をかますのだが、回を重ね過ぎていてもういい加減本当にうっとうしい。毎回大して面白くないし、本作のように(ボケの質的に)作品上邪魔にしかなっていない場合も多々ある。レイノルズorチャニングがドッキリで登場して本心から喜ぶ客が世界中のどこかに、一人でも存在してると本気で思っているのか?

原作者のジジイが消えてやっとうっとうしいカメオ出演枠がなくなったと思った途端今度はこれで本当に辟易とする。出たがり&自己満の演者連中はどの国でも本当にうっとうしい。マーベルを観るようなオタク客はその類の人間をこそ本気で憎んでいる事実を知れ。

でもブラピは例外。

ブラピは出ていい。

サンドラ・ブロック&テイタム主演の「ザ・ロストシティ(2022)」のロン毛ブラピなんかそれはもう絶品で可愛いと言うかキュートと言うか………///私人生で初めて思いましたもの男性に「抱かれたい」って(以下割愛)


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