映画批評【ノースマン 導かれし復讐者】9点 《シンプル過ぎるストーリーに施された肉付けから監督のダメさが伝わる、真性の駄作》

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【①.舞台となっている10世紀の北欧のロケーションが最高。ダイナミックな自然に引き込まれる】

【➁.40代後半とは思えない程に若々しく、体を作り込んだアレクサンダー・スカルスガルドの役作りに脱帽。親子程も年の離れたヒロイン役アニャ・テイラー=ジョイと同世代の役を演じるも全く違和感なし】

【③.短めのワンカットを多用した合戦のシーンはそこそこに見応えあり】

【④.残酷で凄惨なシーンが多いが観客が苦痛を感じる類の直接的な描写を極力控える気遣いが成されており、親切】

【⑤.「羊たちの沈黙」シリーズに見られるような死体アートあり。人によっては琴線に触れるかも】


【①.シンプルに過ぎるストーリーに施された肉付けが最悪。ホラー出身の監督肝入りのホラー・ダークファンタジー描写がやたらと挿入されるがそのどれもが無意味で長ったらしい】

【➁.ファンタジーとリアル志向なアクションの間(はざま)を行ったり来たりする事で互いが互いをスポイルし合う最悪の仕上がりに。リアルなストーリーの要所要所を超常的な何かがご都合主義的に解決する形で進行していく筋書きには失笑を禁じ得ない】

【③.やたらと芝居がかった台詞がうるさい。尺を取る上に中身が無く、無駄でしかない】


Ⅰ:概要

✔ 「ノースマン 導かれし復讐者」は2023年のヒストリカル・ファンタジー・アクション映画。「ターザン:REBORN(2016)」、「ゴジラvsコング(2021)」のアレクサンダー・スカルスガルドが幼少時に全てを奪われ復讐に憑りつかれた男「ノースマン」アムレートを演じ「スプリット(2016)」、「ニュー・ミュータント(2020)」のアニャ・テイラー=ジョイがヒロインを務める。

他にもアムレートの母親、王妃役をニコール・キッドマン、国王である父親役をイーサン・ホーク、王直属の祈祷師をウィレム・デフォーが、盲目の魔女をビョークが演じており、脇役陣も豪華…だがニコール・キッドマン以外は出演時間が非常に短い為ほとんど友情出演と言ってしまって差し支えない。


Ⅱ:批評《尺稼ぎに終始した映画》

✔ この映画の予告編には本作の売りであるワンカットのアクションシーンが多分に含まれていて、敵陣から投げ放たれた槍を空中で鷲掴みにして投げ返すシーンだとか、攻め落とされた村で女子供の悲鳴の鳴り響く納屋に火が放たれる様を引きで撮っているシーンだとかは本作が非常に骨太なヒストリカル・アクション映画である事を予感させる。

1000年以上も前のヨーロッパで王座に就く筈だった未来を家族ごと奪われた主人公が情け容赦ない復讐の道程を刻む…テンポよくストーリーを展開して「300(2006)」のように豪快なアクションに拘れば十分いい映画に仕上げる事は出来た筈だが本作の監督はあろう事か復讐を行う主人公の心理描写や、ストーリーに全く関係のないホラー・オカルト描写に力を入れる事で一体何がしたかったんだか全く分からない迷作に本作を仕上げてしまっている。ろくに広告も打たれなかった本作は公開初日でも小さなスクリーン一つでのみ上映、それでも客足はまばらみたいな状況だがそんなマニアックな作品を敢えて観に行くような懐の深い客の中にもこの映画が鑑賞料金1900円に値したと感じた人は一人もいなかっただろう。

本作のストーリーは予告編を観れば分かる通り「一国の王が身内からの裏切りに遭い暗殺される」→「その息子、次の王になる筈だった男児は単身逃げおおせる」→「成長した男児が親の敵を討つ復讐の旅に出る」→「仇敵の下に辿り着き、切り結ぶ」というシンプルな物で、それをそのままやってしまうと尺足んねえよな…と思い至った監督はまず「①明らかに不必要な父子での変な儀式のシーン」で観客をドン引きさせ(「身内が誰かに殺害された場合は命に代えても仇を討て」と半ば洗脳的に教え込む役割を持つシーンだが男児が家族の仇を憎むのに理由付けなど別に要らない。同様にここにのみ祈祷師役で出演しているウィレム・デフォーもキャスティングする必要が無い)、大人になって復讐心を忘れかけていた主人公にそれを思い起こさせ故郷に足を向けさせる為に「➁盲目の魔女」を登場させて大袈裟な割に中身の無い言葉を吐かせ(大人になった主人公が復讐心を忘れている事がそもそも謎。復讐に足る力を付けた時点で勝手に故郷に向かえばいいだけの話なのでこのシーンは不要。同様にここにのみ登場する盲目の魔女役ビョークも必要無い)、親の仇の下に辿り着いてからは別に神や魔物を倒す訳でもないのに「③不思議な力の宿る魔剣」を手にする為に(剣がいらない以上「剣の存在を教えてくれる、「④生首を持った祈祷師」の存在もその不快な上に長ったらしい出演シーンも不要」)「⑤身の丈3mはあろうかというゾンビ兵士」と戦い(しかもこれは主人公の空想。実際剣は死体から普通に剝ぎ取った)、仇敵だけを殺害して去る予定だった所をその周りの人間を段階的に殺害して絶望と恐怖を味わわせる作戦に切り替え(早く目的を果たして逃亡せねば奴隷の身分である自分の恋人が仇敵に手籠めにされそうな状況)手始めに「⑥仇敵に仕えるたかだか末端の兵士を殺害して死体アート」を作成し「⑦野生の狐と連携して仇敵の住処の外から遠吠えのコーラス」を響かせ仇敵の飼い犬に謀反を起こさせ(何でそんな事が出来るのか、何故出来ると思ったのか、何故それをする必要があったのか何もかも不明)、捕まって縛り付けられればおもむろに「⑧カラスが集まってきて縄を切断」(これも多分主人公の空想で、縄は恐らく勝手に切れただけ)、その後動けない主人公を「⑨怖い顔した女兵士がペガサスに乗せて」空路で輸送し(多分女兵士は神話のヴァルキリー。何故か歯の矯正器具を付けている。もちろん主人公の空想)、「⑩主人公を想ってヒロインが長々と詠む歌」は予告編ではそれ切っ掛けで火山の噴火が起きている様だったがふわりと風を吹かせるだけ、といった具合に無駄・無意味・不快・冗長な要素をこれでもかと継ぎ込んで尺稼ぎを行っている。全体の半分以上をそういった「尺稼ぎ」が占めているこの映画はワンカットの合戦シーンやアレクサンダー・スカルスガルドの肉体美を拝めればそれで良しと言える範疇をとっくに超えていて、劇場はおろかレンタルDVDショップの50円セールの日にすら観る価値がないレベルだ。

監督がこの映画の製作に当たってプロデューサーからどんな枷を強いられていたのか知らないが、こんな映画は凄惨で殺伐としたストーリー展開と骨太でパワフルで多分に残虐なアクションシーンで埋め尽くして男性にのみ向けて作る物と相場は決まっている。ホラー・ダークファンタジー描写にどれだけ自身があるのか知らないが観客が自分の手掛ける映画に何を求めるのか一切読めないようではどんな技量も全く意味を成さない。まだ経験が浅く若い監督だったらしいがこのズレ方だと年齢と経験を重ねても延々大した物は作れないだろう。今後は「ロバート・エガース(本作の監督)作品=劇場での鑑賞はスルー」と判断するぐらいで良さそうだ。

予告編は上出来、キャストも上等なのに蓋を開けてみれば事故映画、いい加減こんな事が多すぎて本当に嫌になる。劇場鑑賞料金もいつの間にか値上がりしたようで1900円…牛丼屋で二日豪遊出来るような額を貧乏人から騙し取る罪の重さを深く反省して欲しいものだ。


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