映画批評【スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース】86点《エンドゲーム以来、初の傑作マーベル映画》

映画


【①.信じられないアニメーション。全てのシーンの一つ一つ、画面の端々にまで及ぶ丹念な描画は日本の世界系アニメの最新作を凌駕するレベル】

【➁.繊細でカラフルでアーティスティックな世界観で、どのシーンを切り取ってもプロ仕様のイラストとして成立する。長い映画だが最初から最後までずっと画が楽しい】

【③.無数のスパイダーマンが登場するが全員がちゃんとスパイダーマン・・・・・・・・・・・。製作者のスパイダーマン愛を感じる】

【④.明らかに日本産アニメの影響を受けている作風。いい物は国の枠を超えてでも取り入れるクリエイターの探求心に脱帽】

【⑤.ベタだが丁寧に、テンポよく展開していくストーリー。「教科書通りを丁寧に」の強さ】


【①.お父さんがアホ、お母さんもアホ、息子は量産型ティーンエイジャー。ハリウッド映画において近年ポリコレよりよく見かける構図だが、この映画の描写が凡庸なのかアメリカの現実社会も全体的にこうなのかは分からない】

【➁.展開が早く早口気味に台詞が交わされていくのでリピート視聴は必至。映画の質的に劇場でリピートしたいところだが2000円はちょっと…「なんとかウェンズデー」みたいな安い日を狙ってリピートするだけの価値は十分ある】

【③.緻密な描画・スピーディなアニメーション故にディテールが目で追い切れず、アクションシーンでは「どこが誰の何で今何が起きてるのか分からない」現象が頻発(特に序盤のヴァルチャー戦)。これもリピート視聴必至案件】

【④.映像に反して楽曲へのこだわりは控えめ。映像の意味ではリピート確定だが劇場でそれをする事を即断出来ないのは楽曲で中毒性を生むアプローチを抜かっているせいだろう。つくづく惜しい】

【⑤.「黒人×女性」まではありでも「妊婦」の設定まで上乗せされたスパイダーマンは完全にやり過ぎで、最早ポリコレなのかどうかも分からない。臨月レベルの腹でバイクに乗って宙を舞うのはやめなさい(真っ当な指摘】




扱いにくい「多次元」、モノにするのは「作品愛」

✔ 「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」はスパイダーマンを題材にした2018年のアニメ映画作品「スパイダーマン:スパイダーバース」の続編。前作のエンドロール後に少しだけ触れられた「未来のスパイダーマン」スパイダーマン2099が自前の装置を用いて次元を自在に行き来出来るようになった事を起点にしてストーリーが展開していく。

2021年にドラマ「ロキ」で多次元宇宙が解禁されて以降、多次元をテーマとしたヒーロー映画がいくつか公開されたが基本的には全部駄作だ。マーベル系の作品はコミックでもアニメでもずっと昔からヒーローが出揃って世界観がインフレするとその上のスケールを求めて必ず「他の次元」に手を伸ばす。ベストなストーリー展開の為ではなく苦肉の策として選択されがちな「多次元宇宙」モノはやはり駄作として完成する事がとても多い。

マーベル系作品で言うなら「ロキ」、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(2021)」「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス(2022)」、「アントマン&ワスプ:クアントマニア(2023)」、アニメ作品の「ホワット・イフ…?(2021)」などという物もあったが、どれもこれも本当に酷い。スケールを拡大し過ぎて取り止めが無くなっているケースや「多次元」というお題に脚本家が応え切れていないケース等色々あるが、それ以上に共通しているのは「愛がない」という事だ。多次元モノなら主人公のホームとは別の次元のキャラも多数登場する訳だが、捨て石的に死んだり元来のキャラ付けが崩壊していたりデザインも明らかに手抜きだったりで、監督お前そのキャラにもそいつが登場するシリーズにも思い入れなんか本当はなくて、手掛けるに当たって義務的に一回おさらいした程度だろと言いたくなってしまうような仕上がりの物ばかり。アメコミ物において「多次元」を扱う段になって初めてシリーズに参入してくる監督は成功したシリーズに後乗りしてきている訳だが、どのジャンルでもそういう人材は各方面への「愛」や「リスペクト」、そして「プロ意識」を欠きがちだ。

その点「アクロス・ザ・スパイダーバース」は違う。前述した多次元モノのマーベル作品などとは比べものにならない程の「多次元のスパイダーマン達」がこの作品には登場するが、数えきれない程登場する上に群れて行動する事の多い彼らは何と一人一人がしっかりと色分けされて描き込まれていて、多かれ少なかれ個性を与えられている。これだけ居れば誰かがモブキャラ・ザコキャラ的扱いを受けるものだが明確にそれをされたスパイダーマンは一人もいない。グウェンや2099はもちろん以下数名のインディアだとかパンクのようなソサエティの中心人物達は明らかに主人公属性で、各々を主人公としたスパイダーマンの物語を容易に思い描ける程。

どれだけ数が居ても彼らは一人一人が自分の世界線でたった一人のスパイダーマンだ。親が居るだとか居ないだとか、ガールフレンドがMJかグウェンかみたいな違いはあるものの全員共通で近しい誰かと死別したトラウマを抱えながら、自己犠牲の精神を胸にその身一つで自分の世界を守っている。スパイダーマンの名を冠する以上どこの世界線のスパイダーマンもそれだけは共通していて、やはりそんなヒーロー達がモブ的・ザコ的に描かれるのは間違っている。

本作の製作者は明確にその意識を持って製作に当たっている。スパイダーマンである以上どれだけ数が居ても全員を丁重に描画するべきだし、雑な扱いはするべきではない事が念頭に置かれている。「アントマン&ワスプ:クアントマニア」でアントマンとワスプが見せた無限増殖顔負けのおびただしいスパイダーマン達の一体一体に羽があったり、棘みたいな物が生えていたり、メタリックだったり、ガタイがよかったり、黒かったり白かったり黄色かったりと多種多様な個性が与えられている様子を観ているとそのうち「こいつ(描いてる奴)楽しんでんな」と思い至る。

これはスパイダーマン達の多種多様な描画に限った事ではないが、この映画のアニメーションを担当したクリエイターは明らかに楽しみながらこれを描いている。ディテールの書き込みだとか色使いだとか、キャラクター達の伸びのある動きを観ていると肌で感じ取れる事だが、それに強過ぎる「スパイダーマン愛」までもが乗っかっている事がこの映画を傑作足らしめている。「愛」や「創作意欲」のような純粋な要素によって形作られる映画に出会える事は昨今本当に珍しい。

それに比べると「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(2021)」の先代・先々代のスパイダーマンの扱いなど本当に酷い。先々代のサム・ライミ版が「スパイダーマン3(2007)」で完結した時主演のトビー・マグワイアは32歳でまだ若者だったわけだが「ノー・ウェイ・ホーム」の時彼は50前になっていて、当然見た目が相当老けている。コスチュームを着て登場した以上シリーズ完結後も彼はスパイダーマンとして自分の世界線でヴィランと戦い続けていた筈だが作中で交わす会話を聴いていると彼のスパイダーマンとしてのキャリアは3を最後にほとんど終わっているような様子。要するに「ノー・ウェイ・ホーム」の製作陣はトビースパイディの「3」以降の長い空白期間について何も配慮していない。こいつやってんなと思いながら観ていると「スパイダーマンが三人」のコミュニケーション難を打開する為にそれぞれを「ワン・ツー・スリー」と呼称する流れが生まれ、あろう事か現役のトム・ホランドが「ワン」になってしまう。先代と先々代、そしてその二人が主演する現行の物よりずっとよく出来た二つのシリーズに対するリスペクトがあるならこんなネタバレ癖のバカガキを「1」になど絶対にしない。製作陣は「終わったシリーズの二人を出してあげるなんて気が利くでしょ」という考えだと思うがこんな失礼な扱いするぐらいなら出すなやボケという話だ。特に多次元を扱うフェーズに入ってからのマーベル作品の監督は、こんな調子でシリーズに対する愛情とリスペクトを欠きがちだ。


「商業映画」ではなく「クリエイターズムービー」

✔ スパイダーマン達の緻密な描写以上にクリエイターが「楽しんでる」のがカラフルで攻め攻めで、アーティスティックな画作りと柔軟で繊細で伸びのあるアニメーションだ。アメリカではなく世界で最先端、最高峰の技術を持ったクリエイターによる渾身の描画によりこの映画はほとんど全てのシーンがハイライトだし、一時停止して静止画にすればプロ仕様のイラストになる。絵が描ける人間の気持ちなんか分からない私だが、磨いたスキルをこれだけぶつけていればそれはさぞ楽しいだろうなと思う。本作は「極度なスパイダーマンファン」×「世界最高峰のスキルを持つアニメーター」の二つの条件を併せ持ったクリエイターが極めて前向きな姿勢で製作した、「商業映画」ではなく「クリエイター作品」だ。そんな作品が多大な製作費用に「マーベル」の前評判まで得てたくさんの観客に観て貰えて評価されて…こんな好条件が折り重なる事などせいぜい10年に数回程度しかない。「アクロス・ザ・スパイダーバース」は「よく出来ている」とか「楽しい」とかでは済ませられない、運や時代までもが味方した特別な作品と言える。マーベル系作品の中では「インフィニティ・ウォー(2018)」「エンドゲーム(2019)」以来の傑作だし、映画界全体で見てもそうかも知れない。

ポップな世界観にスラリとした華奢な造形のキャラクターが多い事やカメラワーク・構図などを見ても明らかな事だが、本作はセカイ系アニメに代表される、近年の日本のアニメ作品に強く影響を受けている。本作のメインヴィラン「スポット」の描写などはあからさまで、変異途中のカオナシのような不気味な体系に墨で塗り潰したような黒いオーラがぐるぐると渦巻くのを観ていると外国の映画を観ている事を忘れてしまう程だ。凡庸な陰キャ君が無敵の人Lv.9999に変貌する展開もさもありなん。本作のクリエイターが極度のアニメオタクで日本のアニメも熱心に研究している事は間違いない。

私はプラスの事象を透過してマイナスの事物だけを掬い取る事を信条に生きている人間で、日本文化が世界規模で見て殊更優れているとは思わないし、自国の文化がこういったリスペクトを受けている実態を見ても何とも思わないが、代わりに自国の文化が雑に扱われる不敬な行いは許せない。丁度少し前に観た「クリード 過去の逆襲」では主演のバカが「日本の漫画・アニメ文化を取り入れる」事をテーマにとんでもない駄作を作り上げていたが、こういうのは本当に一生忘れない。

日本のアニメ文化が優れている事はさておき、その良さを取り入れる事は生半可な姿勢では出来ないという事だ。アニメに人生をかけている世界最高峰のクリエイターが国境に捉われずに広くその文化を研究して最良の物を見つけ、時間を掛けてそのエッセンスを吸収して自前の技術やセンスと混ぜていく。物凄く時間と神経、労力を消費する作業だがそれを成せるのもその文化を深く愛しているが故だ。アメリカのクリエイターが他国の文化を吸収してここまでのレベルに昇華させている事実こそが純粋な想いの体現に他ならない。クリエイター魂と呼んでもいいし、愛と呼んでもいいがこの作品にはそれがなみなみと満ち溢れている。だからこの映画は観ている間ずっと気持ちがいい。


アニメ映画に中毒性を持たせる方法
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