ホロライブコラム.01【蟻には蟻の、象には象の@宝鐘マリン】N《お前に社長は無理なんだワ。(5)Creators must be dead feat.宝鐘マリンin昭和歌謡祭》include:はじめまして松尾です/月ノ美兎/がうる・ぐら

VTuber




クリエイターは死んでいく:その③はじめまして松尾です【ネタの連打のチキンレース】(続き

✔ ネタの連打をエンドレスに繰り返す活動スタイルの最たる危険性は、要するにこういうところにある。一旦成功したYouTuberは「①インスピレーション湧いた」→「➁形にしたい」→「③製作」という順当なステップを踏んで行われる作品作りから引き剥がされ「①´製作の必要性に迫られる」→「➁´テンプレに沿って機械的に制作作業を行う」→「③´駄作・凡作なテンプレ作品の完成」という地獄のルーティンに従事させられ、しかもそれをオワコン化するまでの期間一杯延々繰り返す事を強いられる。松尾のアニメ作品を見ると何年も前の初期からその流れに乗っていた事が分かるが、そこでネタとモチベが切れて苦しくなる事が分かり切っている未来を回避するために人員を増やしてチャンネルを体系化する舵取りが出来なかったのが彼のミスだ。りくやあかさあいに仕事を振り始めた宝鐘はその必要性に気付く事はしているかも知れないが体系化には結局失敗しているので辿っているルートは松尾と同じという事になる。


✔ チャンネルを体系化させる事の必要性に気が付いたのか1年程前から作画を人に任せたサブチャンネルを始動。1年前と言えば松尾の本チャンネルがオワコン化し始めてしばらく経った後で、仕組み作りへの着手としては遅過ぎる。「①乗りに乗っていて上へのステップが開かれている」→「➁仕組みを整えてそれを上っていく」というルートを辿るために仕組み作りというのは行うものなのだが、松尾然りぽこピー然り、仕組み作りを成績が悪化してからのテコ入れに行う類のものだと勘違いしていて、これも自分がサボっている間の穴埋めのために人員を用いた宝鐘と少し似ている。

視聴者からの期待を失って上の段階へ上がるための推進力を失ったチャンネルが仕組み作りを行う意味とは一体どこにあるのだろうか。それによって得られる物は具体的に何なのか、彼らには果たして見えているのだろうか。


✔ 宝鐘が「①インスピレーションを得る」→「➁製作を行う」というクリエイターの王道から「①´製作の必要性に迫られる」→「➁´自分の過去作を参考に機械的に製作」→「③´駄作・凡作なテンプレ作品の完成」の邪道を励行し始めている事を示す今年の周年記念歌謡祭Live。簡単に言えば画角をアナログ仕様にして画質を劣化させ、ホロメンを一組ずつゲストに呼んで一緒に昭和の名歌を歌うライブだが今年は去年の周年記念に行ったものをテンプレ化し呼ぶゲストと歌う曲を挿げ替えただけのもので、製作過程が非常に機械的だ。「①´モチベは死んでるけど周年記念だし何かやらなきゃな」→「➁´去年の昭和歌謡ウケが良かったしまたやるか、曲とゲストだけ新しく考えて…」→「③去年のコピーライブの完成」という事で、松尾と辿っている道が完全に同じ。だから出来上がった物のクオリティは去年のクオリティを決して超えていないし遊び心も挑戦心も垣間見えない、つまりインスピレーションが全く含まれていない。オリジナルのOP映像やぐらとのオリ曲のような後付けの付加価値で去年からの変化を狙った節があるがこれもオワコン化し始めてからアニメの作画の描き込みにこだわり始めた、つまり本質と関係のない部分に力を入れてインスピレーションの枯渇を打ち消そうとした松尾のやり口とよく似ている。

若いリスナーの多いVTuberの界隈で昭和歌謡なんかやって何がいいのか私には全く分からないが、昭和歌謡も昭和の名歌をあえて古いスタイルで歌うのもずっと昔から繰り返されている様式美ではある。宝鐘が手を付けた以上他の誰かが後追いする訳にもいかず、やるならやはり前向きに、前年とは違ったチャレンジを行い最大限面白く仕上げるのが責任というものだろう。


✔ パッと思いつくのはゲストに月ノを呼ぶ手だ。若いのにどこか古臭く老獪なキャラクターは昭和のおじさんが喜ぶ「若いのに古い文化に理解のある子」のプロットにドンピシャだし、ベーシックな女子高生の初期モデルは色調の焼けたあの画面によく映えるだろう。宝鐘がやった以上他のVが昭和歌謡祭をやる事は出来ない訳だが、それならホロライブの中でホロメンだけを呼んで小さく纏めるより月ノのような箱外のビッグネームを呼んで業界規模のお祭りにしてしまった方がいい。今年少しだけホロライブと関わった星川でも壱百満天原でも、さんばかでも見繕えば見合う昭和歌謡があった筈で、去年と同じパターンでホロメンだけを呼んで無難に済ますよりは彼女達を呼んで形を変えた方がずっと面白い。


✔ 宝鐘が今年の歌謡祭のメインゲストに据えたのはがうる・ぐら。昭和味も何もないぐらを呼んだのは箱内の別領域のトップを呼べばホロリスが盛り上がるからという極めて雑な判断からだろう。

共同で歌ったオリ曲の再生回数を見ると、ホロリスは別にこの人選を喜んでいない。Vのこの類のコンテンツのヒットには前振りやキャラ付けが必須だが昭和のイメージも何もなく、宝鐘とも特に繋がりのないただの箱内有名人を無理矢理に引っ張って来ただけのキャスティングだとそれは成立しない。「Q.何で選んだの?」「A.有名人だから」そんな人選を経て作られたコンテンツがヒットするようにこの界隈は出来ていない。タレントとしてのぐらの華やこの曲、MVの出来を評価しない訳ではないがそれらはこの話に関係しない。


✔ 宝鐘は今年の初め一度コラボしてから月ノと全く関わっていない。単発のネタを連打するパターンを繰り返す事こそクリエイタータイプ最悪の悪手だが宝鐘にとっては月ノやその他のにじライバーとの関わりもその一回一回が単発のネタに過ぎない。ホロメンだけを呼んで去年と全く同じクオリティに仕上がったこのライブを見ればその一つ一つが宝鐘の活動に伸びと変化をもたらすアドとして定着していない事は明らかで、月ノを含め今年何度か行った箱外のVとの関わり方が正しくなかった事が分かる。この歌謡祭も含め、単発のネタをその時々で繰り返すだけのスタイルはクリエイターを削りこそすれアドは決してもたらさない最悪の悪手、それだけは確かだ。


タイトルとURLをコピーしました