✔ 32:26~ 厳しい成育過程を経て自分の内側に強固な自己破壊プログラムを組み上げてしまったホロメンと言えばこの人もそう。本音をひた隠して感情の揺れ動きを隠蔽しブサイクムーブを励行する等夏色と天音には共通項が多いがどちら共が表向き実年齢より大人びた人となりをしているのが最も顕著な特徴だろうか。子供時代に順当に子供をやらせて貰えなかった人間の最たるサバイバル術こそが「周りに迷惑をかけないよう取り急ぎ大人になる」だ。
この配信の(32:26~)で天音は「最近自己肯定感上がってきた」話をしているが、2023年夏の長期休止前後から天音はこういった形で「①生きるのに支障を来す程自己肯定感が低い」だとか「➁母親が毒親と紙一重な程厳しかった」「③そういう成育過程で培われた闇の部分だとか漠然とした人への不信感がある」でも前向きに構えて「④自分を見つめ直して生き方を変えていきたい」みたいな話を配信上で明確に口にするようになっていて、これはそのうちの一つ。20代の中頃を迎えてこれまでの自分の人生を俯瞰で捉え、その特異性に気付き疑問を抱き始めている事が分かる。
✔ 0:04~ 「自分で自分を褒めて自己肯定感を高める」話をしている復帰後しばらく経った去年末頃の配信。書店に並んでいるような自己啓発本の内容そのままな話だが、天音は休止中自分を自分の人生ごと歪めている問題の自己解決を図るため図書館で調べものをしていた期間があるとも配信の中で話している。「発達教育学」だとか「虐待の定義」「カウンセリングの是非」みたいなその手の本をさぞ読み漁った事だと思うが、まあ人生で初めてお勉強に手を付けられたのはエラいとだけ褒めておこう。ついでに「スプリット」「ミスター・ガラス」の二つの映画の視聴も天音や天音を観ているような陰キャリスナーにはお勧めしたい。成育過程で酷い目に遭った人間全体を「失意の者」と呼称しそんな過去を最たるアイデンティティとして掲げ謎に誇らしげでもある天音みたいなアホ(天音同様やっぱり壊れている)が主人公の面白い映画なので是非の視聴を。
厳し過ぎる子供時代を過ごして自己肯定感を激しく損なった人間がその事実自体を天音のような形で自認する事自体は重要な事だし、極端に偏った人生を送らないよう自戒の念を忘れないのも大事な心掛けだが、天音が休止中読み漁ったような自己啓発本に記載されている「自己肯定感の低さを解決する方法」はどれも一切役に立たない。───と言うか、子供時代に親からぶっ壊された人間の自己肯定感の低さは一生改善されない。変えられるのは低過ぎる自己肯定感自体ではなくそれが実生活に及ぼす影響だけ、つまりコントロール法を自分なりに編み出しそれに支配されたまま生きている状態を脱する事以上に出来る事はない。
多分天音の読んだ本には「親から愛情を受けられなかった人はそういった無償の愛情を投げかけてくれる別の人(親友、恋人、配偶者)を得る事で自己肯定感の低さを改善する事が出来ます」とも書いてあったと思うが、親が投げかける無償の愛を条件次第でいくらでも顔を変えるこいつらからの愛情ごときが肩代わり出来る訳がない。生まれて初めて目にした人間が自分を「要らない」「可愛くない」「気持ち悪い」「価値がない」という顔で見返している事に気付いた時のトラウマは代わりの何かで後々何とか出来るような生易しいものではない。───天音が読んだような本を書いた奴は全員「毒親エアプ」「虐待エアプ」だ。それ系の啓発本で救われた人間は多分人類の歴史の中でまだ一人も居ない。
✔ 22:54~ 上の配信で母さゆりがヒスママだった話をしたのと同じような主旨だが、「毒親はテストの100点では喜ばない」と自分の後進(虐待被害者の女児)に説く天音。まるで「自分毒親にはちょっと詳しいもので」とでも言いたげな様子だが、もしかするとこの配信を観ている可能性が高い母親に何か言いたい事でもあるのかも知れない。───ちなみに天音がここで自分と同じ属性の幼女に忠言しているのはここで私が天音について書いているのと同じ行動だ。ゲームの中で幼女がひたむきに母を待ち続けているのが不毛で実を結ばない行為であるのと同様に今天音が自分の自己肯定感の低さを認識してそれに対抗する形でやっている何もかももやはり無駄だ。だから天音はここで今から私が言う事をちゃんと聴いた方がいい。
上のさゆりがヒスママだった話とこの場面に関して言えるのは天音が自分の悲惨だった子供時代を認識して疑問視した上で怒りを抱え始めているという事。チャンネルの中で名物キャラとして仕上がっていたさゆりの笑えない属性をこれ見よがしに暴露し始めているのは「自分がやった事なんだから吊るし上げられても文句言えませんよね?w」という攻撃的な意識に裏打ちされた行動だ。
✔ 1:41:08~ 8番出口をノーミスでクリアして「ヒスママの顔色を窺って生きてきたのが役に立った」みたいな事を言う天音。これを観れば分かり易いのだが母親がヒスママだった話は配信で引っ張り出してきても基本的に面白くはならない。同様に「自己肯定感が低い」「だからそれも改善したい」みたいな話も配信を面白くしないし、そのキャラ付けが天音を映えさせることもない。休止前後から何度口にしたか分からないこの手の話だが、それが天音のVとしての活動に一役買った事は一度もない。天音はキャラ付けなど特にしなくても手ぶらで面白いトークを展開出来るし企画も人に真似できない気の利いた物を用意する事が出来るタイプなのでこの面白くないキャラ付けをその代わりに擦る行為はシンプルに邪魔で天音の活動の質を落としている。
では何故天音がそんなキャラ付けを進んで行うのかと言うと、それが今天音の最たるアイデンティティになっているからだ。「母に人並みに優しく扱って貰えなかった」「自分は守られなかった」というトラウマが今天音に「自己肯定感低い」「親が毒親だった」と活動に利さない事を言わせている訳だが、これは自分の子供時代が悲惨だったと気付く前の無意識に人に尽くしボランティア的に振る舞う事で精神を安定させていた頃とやっている事が同じだ。子供時代の同じ出来事に無意識のうちに影響され自分、若しくは自分の活動を阻害する行動を正しいという思い込みの内に行うという病的行動を自分のこれまでを俯瞰で捉える事に成功した後でも猶天音は、まるでそれが本能で生きる目的であるかのように励行している。
夏色の自己破壊プログラムは「アドの湧き潰し」だったが天音のは「自己否定」だ。自分の母が自分の事を「お前は生まれつき間違っている」と辛辣に扱った事により自己肯定感が低い人間に育ってしまった事が自分の生き辛さの原因だと天音は気付いた訳だが、今天音が「(自分は自己肯定感が低いから)自己肯定感高めたい」と言っているのも「自分は間違っている」という母親により教え込まれた発想が元になっている。
「自己肯定感が低い」事自体は実は天音に何のデバフももたらさない。例えば仕事が立て込んで精神が限界まで追い込まれている時に「自己肯定感の低さ」が悪さをしてくよくよとした後ろ向きな考えを天音に吹き込む事はあるかも知れないがこれはポジティブな人間が調子に乗り過ぎて人に迷惑をかけてしまう事の逆位置的な現象でしかなく、その性質自体を否定すべきものではない。
8番出口の配信の中で天音自体が言っているが、「自分の事を一度疑って立ち止まって考えてみる事」は何においても大事な事で、これは自己肯定感の低い人間や自信のない人間が好んでとる行動だ。それや腰が低くてこんな浮ついた業界では破格の民度を以て振る舞えるといった天音の長所は天音の母親が天音が幼い頃精神の根幹を叩き潰したからこそ顕現しているもので、結果出来上がった「自己肯定感が低い天音」を否定して改善していかなければならない理由は実はどこにもない。誰も言っていないしどう考えてもその必要性はないのにただ世界で一人だけ天音が「自分は間違っている」という発想を以て是正に動いている、天音が今人知れず発症しているのはそういう病気だ。