✔ 【A.湊という最後にして最大の希望を失ったホロライブ】+【B.実は社と同僚によってのみその活動の全てが成り立っていた他者依存型のVで、その全てを失いあらゆる将来を絶たれてしまった湊】という二つの被害者を同時に生み出してしまった『湊あくあの卒業』という箱始まって以来の最も凄惨な悲劇は、実はタネを明かしてしまうとかなりどうでもいい話だったりもする。
何故かと言えば、湊が今回残留の道を選んでいたとしても結局【A.ホロライブ】にも【B.湊】にも、変わらず希望なんて無かったからだ。
✔ 26:15~ 湊の脱退以降ホロメン達は皆カンフル剤が効いているような状態になっていて、それまでとは毛色の違う大きめの動きが各所で頻発する状況が続いている。
その最たる例こそが「ホロライブGTA」で、今年に入ってからはいよいよ本格的に配信活動に向き合えなくなっていた宝鐘もこれには開催期間中最初から最後まで参加出来ていた(ここ数年で言えば驚異的な事)のだが、実際に枠を取って自分のチャンネルで配信をして、というのをやったのは一週間の内最初の三日だけ。三日目の配信があってからそろそろ一月程経つがその後自分のチャンネルでやった配信はたったの三つ、一つ目はホロライブGTAの切り抜き鑑賞、二つ目は参加不可避な3期でのイベント的合同配信、三つ目はしぐれが宝鐘の家に遊びに来たついでに行ったアソビ大全コラボ、という事で全てが義務か何かのついで(三つ目の配信の初っ端でしぐれが何の気なしに言った「配信ってついでだから」という言葉を受けて宝鐘が慌てふためいているが、これはもちろん的確に図星を突かれたため)。ホロライブGTAに最初から最後まで参加した事から「湊卒業」のカンフル剤が効いていたのは確かなようだがそれでも配信活動にもう一度向き合い直すまでには至らなかったようだ。
ここ数年宝鐘が抱える最大の問題は「活動へのモチベが枯れて戻らない」、中でも【配信意欲が一切湧かず、それに向き合えない】事で、湊の卒業までの数年配信頻度は激減に激減を重ね、今回のホロライブGTAみたいな箱内イベントへの参加も控える頻度を年々上げ続けていた。───厳密に言えば、「やるぞ…!!」と自分を奮い立たせて手を付けはするものの早々に「やっぱムリ…!!」と挫けて引き返すような動きを配信系の活動に関しては絶え間なく繰り返していたのだが、例えばそれは「GTA」の一つ前の大型ホロ鯖企画「ARK」への参加の仕方を見ても分かり易い。一週間続いたこれに関しても「(せっかくのいい機会だから)やるぞ…!!」と意気込んで参加はしたものの一回目の配信を終えすぐさま「やっぱムリ…!!」となってその後は枠が一回も立てられなかった形だ(コラボや企画に「参加」自体はしても「(体調不良や忙しさを理由に)すぐ中抜けする」若しくは「枠は取らず他人の配信に映り込むだけ」は「やらなきゃ」の義務感に気持ちが付いて行っていない時の宝鐘の典型的行動)。
「湊卒業」のカンフル剤が効いていた今回に関しては一応「枠立て三日分」ぐらいのモチベは出せたようだが二日目の配信の途中辺りから「キャバクラなんて本当は嫌だ」「いつまでもこんな事していたくない」とか何とか配信中にグズグズ言い始め次の日の枠立てを最後にその後は他人の配信に映り込むだけ(最終日すら枠立てなし)のスタイルに切り替えた事から今回モチベが保てたのは実質一日と半分程度だったようだ。「湊の卒業がカンフル剤として効いていて」「近年稀に見る当たりの大型企画だった」という二つのバフ条件を以てしてもその程度にしか引き延ばせない程宝鐘の【配信活動へのモチベの枯渇】は深刻な状態だ。
今回のGTAホロ鯖はロールプレイや茶番・寸劇を基調としたギャグ路線が強めでそれこそが宝鐘の本領なのだが、今回宝鐘が代表を務めていた「キャバクラ」チームのMVPは間違いなくAZKiだった。ゲームの技術や馴れ合いカラーの集団芸ではなく「ロールプレイのパワーギャグ」という一番得意な分野であの堅苦しくて面白くなくて単体配信の笑い所は毎回必ず確実にゼロなAZKiに負けた時点で宝鐘が仕事が出来ていなかったのは明白。それにも関わらず鯖終了直後の切り抜きを鑑賞する配信では「(GTAは次やるとしても)一年後ぐらいがいい」と当分やりたくない胸の内を吐露している。「中途半端にしか参加出来なかった」「(遥か格下に得意分野で負ける程に)仕事も出来ていなかった」にも関わらずその上「やりたくない」のならそれは『死ぬ程やる気がない』以外に理由がない。
宝鐘は「楽しい」と頭で考えるよりも先に体が動いてしまうような新しい何かを見つけるべき時期に差し掛かっているように思う。最近だと配信は案件や周年記念のような義務的なものばかり繰り返し大きめの動きだとソロライブやファーストアルバムの発売、製作費ウン千万のオリ曲の製作等だがこれらは全て「この仕事だからこういう事するよね」という義務や縛りが先に来ているものばかりだ。初めてVTuberという仕事を知った時のように、あるいは(子供時代)初めて絵を描いてみようとペンを手に取った時のように、頭ではなく脊髄でこれと感じて動き始めるような新しい何かが必要な時期に差し掛かっている。
それが「箱外の活動者との交流&コラボを始めとした共同での活動」、例えば「クマリン・セカワーのような何かしらの創作活動」、「動画形式を用いての定番企画」、「声優活動」のようなVと連続性のある行いなら言う事はないのだが、何なら「裏垢での活動」、「(ホロで稼いだ潤沢な資金を以てしての)飲食・アパレルのような事業の展開」、果ては「(撮影を伴わない)旅行」「習い事」「遊び」「趣味」「恋愛→結婚→出産→子育て」みたいな活動と何の関係もない行いでも何でもいい。
後者だった場合Vとしての宝鐘は確実に終わるが、実はそれは今も大して変わらなかったりする。────だから本当に、何でもいい。