【新進気鋭のアクション監督、劣化コピーおじさんに仲間入り】
才気溢れるクリエイターも、やはり我々と同じ人の子で、
創作意欲やアイデアを、自分のキャリア一杯まで持たせられる者は稀である。
寄る年波で情に脆くなった大御所監督が、リアリティと整合性を欠いて破綻したストーリーを展開し、安易な綺麗事とお涙頂戴シーンをこれでもか、と詰め込んだ超大作の駄作、と言えば誰でも何作品か思い浮かべる事が出来るだろう。
ジョー・カーナハンは無意識に、全盛期の自分の作品の劣化版を作り続けてしまうタイプの監督である。
「コンティニュー」は彼の過去作品の断片がだらしなく盛り合わされ、古いセンスで一昔前の流行を追った、この時代の誰にも刺さらない残念な作品と言えるだろう。
「NARC ナーク(2002)」から10年程の彼の活躍は目覚ましかった。
粗削りな作風ながらも常に斬新、常にスタイリッシュ。
男の子大歓喜のダイナミックなアクションで沸かせると同時に、誰も予想出来ない方向へ転がるストーリー・・「特攻野郎Aチーム(2010)」まで、彼は間違い無く昇り調子だったのである。
あと少しで一流監督の仲間入り、という所で創作意欲が尽きたのか迷走し始め、気が付けばこんな低いステージで、広告もまともに打たれないマイナー作品の監督を務めている。
「コンティニュー」はジョー・カーナハンが新しい気風に触れ、柔軟に感性を磨く事を長年怠って来た事を示す要素で溢れている。
偉そうなおじさんが誰も感化されない演説をネチネチと続けるシーンを、カッコいい、箔が付くと思って長尺で撮ったり、主人公が非も害もない一般市民を差別意識と先入観だけでなじったり、マトリックス的に剣を習ったりシンシティみたいな女剣士を出したり殺し屋が大集合したり・・。
「主人公が無限に蘇生して強くなり続ける」という設定に「オール・ユー・ニード・イズ・キル(2014)」という勝てる筈のない傑作から6年という微妙な期間を置いて手を出した事にしてもそうである。
映画作りに際して「今この流れが来てるからこういうテイストでプロットを組んでこういうメッセージを込めれば客に刺さる筈だ」みたいなプランが組めなくなっているのだろうと思う。
「もう大体やりたい事もやったし、何となく思いついたことやってみるか」という姿勢が見え見えで、そんな映画が人に刺激を与える事は無いし、今後任される仕事もさらにサイズダウンするだろう。
一時は大きく期待を寄せた監督なだけに、とても残念である。
唯一、主人公が目覚めた直後に直面する、ヘリからのガトリング銃の乱射を避けながら殺し屋と戦うシーンは、役者の練習と、テイクを重ねた努力の跡が見られていい。
主人公を演じるフランク・グリロの、アウトロー感漂う佇まいと鍛え上げられた肉体もいい。
かなり遅咲きの役者だと思うが、今絶好調の上り調子なので、今後に期待である。