映画批評【ブラックアダム】16点 《「黒いスーパーマン」の映画。出来も「マン・オブ・スティール(2013)」と大体同レベ。DC映画はもうダメだ。》

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【①.「スーパーマン並に強いダークヒーロー」にドウェイン・ジョンソンを起用するというこれ以上ないキャスティング。画力が物凄い】

【➁.アクションシーンのCGクオリティが最高級。アクションシークエンスは別にしてCG技術だけならマーベル映画にも引けを取らない】


【①.主人公がスーパーマンのコピー過ぎて映画自体も「マン・オブ・スティール」や「ジャスティス・リーグ(2017)」の焼き直しのよう。斬新さやオリジナリティは一切ない】

【➁.ダサく魅力の無い、モブと言っても差支えの無いヒーロー達にスポットを当てる事でこれ以上ない誰トク映画に。MCU(マーベル映画)の劣化パチモンキャラ(でも実際はこちらが…?)達に今更観客が興味を抱く訳がない】

【③.ヒーロー/アクション映画の「あるあるシークエンス」を矢継ぎ早に連発し台詞で設定やストーリーを早口に説明して駆け足で進行していくスタイルが「スーサイド・スクワッド(2016)」を思い起こさせる。映画全体がダイジェスト作品のようで観客の頭と感情が付いて行けない作り】

【④.無駄にスローモーションを多用した凡庸なアクションシーン、ダサ過ぎて笑う事も出来ない程に魅力のないヒーロー達、自虐的なセルフパロディかと思う程に味気なく面白味のない能力の数々、スーパーマン・シャザムに続いてDCエクステンデッド・ユニバースに産み落とされた3人目の「スーパーマンライク」なヒーロー…この映画ばかりかDC映画の今後にも一切期待が持てない事を確信させる一本】


Ⅰ:概要

✔ 「ブラックアダム」は2022年のヒーロー映画。「ジャスティス・リーグ」や「スーサイド・スクワッド」等に代表される「DCエクステンデッド・ユニバース」に属する作品で、両作品と共通のキャラクターも登場する。推定スーパーマン(DC最強)と同格の強さを誇るダークヒーローをこれ以上ない適役の筋肉俳優ドウェイン・ジョンソンが演じ、ハイクオリティなアクションシーンをふんだんに盛り込んだトレーラー映像はうだつの上がらないDC映画の逆襲を予感させるが果たして…!?と期待が募る。


Ⅱ:呪われた映画シリーズ

✔ このブログでも何度も触れているが、DC映画(DCエクステンデッド・ユニバース)は呪われている。アイアンマンやソーのような派手なキャラばかりかキャプテン・アメリカやホークアイのような、ヒーローとしては地味で貧弱過ぎるキャラすらも華々しく魅力的に描き切り名作を連発するMCU(マーベルコミックを原作とする映画作品群)と比べて「マン・オブ・スティール」から始まるDC映画作品群はどれもこれも本当に酷い。

DCエクステンデッド・ユニバースで私が推すのは「ジャスティス・リーグ(スナイダーズカットの方ではない)」と「スーサイド・スクワッド2(2021)」だが前者は数年後監督自らが手を加えて台無しに貶め後者はライバルであるMCUで大成功を収めた優秀な監督に頭を下げてお越し頂くというとっても恥ずかしい経緯を辿って製作されている。MCU成功の尻馬に乗って始動したシリーズと考えればこの体たらくが相当かも知れないがそれぞれのシリーズ作を見てみるとまともな映画の一つや二つ優に作れそうな製作費がかけられていて、いよいよ製作陣にまともな映画を作る意志が欠如している事が疑われる。今回の「ブラックアダム」も面白くないアクションシーンの一つや二つ削って監督や脚本家の方に金をかければもっとまともな仕上がりになった筈だ。




Ⅲ:最低限の期待にすら応えない

✔ 黒衣に身を包んだ筋肉の塊、否ドウェイン・ジョンソンが瞬間移動を交えつつ人をちぎっては投げするトレーラーが公開され、この映画の大まかなビジュアルが掴めた時点で期待を寄せた映画ファンの男の子はさぞ多いと思うがこの映画の一番の問題点はそんな観客の大多数(ほぼ男性)が当然抱くであろう期待(胸躍る豪快な筋肉アクション)すら裏切ってしまっているという事だ。ハリウッドを代表する肉体派俳優ドウェイン・ジョンソンは当然動いて殴ってが大の得意だが本作では軽く腕を前に突き出して電撃を放つか腕を「ブゥンっ」と回してCGで出来た人間を投げるかしかしておらず後は大方飛んでいる事も手伝って動くシーンは殆どがCGアニメーターに丸投げされている。

ブラックアダムはフラッシュを超えてスーパーマン並に高速で動けるのでスローモーションの中で飛んでいるミサイルを逆向きに配置したり敵の手を離れた手榴弾をあえて敵の元に戻したりしているが監督のセンスが無いせいで「X-MEN:フューチャー&パスト(2014)」作中のクイックシルバーによるスローモーションシーンの百分の一も面白くない。本作中にアクションシーンは数あれどドウェイン・ジョンソンは電撃を放つか自身のCGアニメーションへ繋ぐ予備動作をとるかぐらいの動きしかしておらず、これではトレーラーを観て彼の躍動する筋肉を期待した我々への裏切りと言う他ない。同じCGアクションでも「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(2018)」の序盤でサノスとハルクが取っ組み合った「ズシン」「ドゴン」と重低音の響く類の物を作る選択肢もあった筈だが本作の監督にもDCエクステンデッド・ユニバースにもそんな粋な計らいはやはり望めないようだ。


Ⅳ:冗談であって欲しいヒーローチーム

✔ そんな製作陣が代わりに力を入れたのが「ホークマン」や「ドクター・フェイト」に代表される、ブラックアダムを危険視し敵対するJSAなるヒーローチームの描写だ。

ホークマンはMCUで言えばファルコンがタウリンとブロムヘキシンをしこたま飲んでこうげきとぼうぎょに限界までステ振りしたようなヒーローで、スーパーマン並に強いブラックアダムとの至近距離での殴り合いにも耐える代わりにファルコンのようなスタイリッシュなデザイン性が失われ、機敏に飛び回れない代わりに極めてシンプルなデザインの短め棘付メイスや鉄の手斧で戦い、つまりダサい上に面白くなく、全く魅力がない。

ドクター・フェイトは名前を聞いた時点で嫌な予感がしている人がいるかも知れないがMCU「ドクター・ストレンジ」の丸パクリの魔術師ヒーローだ。品と知性を讃えるおじ様が宙に浮いて印を結び「シャリーン」「パリーン」と音の鳴る、光で出来た細工物を展開して防御と攻撃に充て、幽体離脱・多重影分身・未来予知とメインヴィランを打ち負かす事以外ならほぼ何でも出来る色んな意味で便利なキャラクターになっている。目を覗かせる穴すらない金ぴかの兜を被っているのがバッタもん臭さに拍車をかける、MCUがフェーズ4に至りドクター・ストレンジシリーズも二作目まで出ている現在全く見る気になれないヒーローだ。

これにデッドプールみたいなデザインの癖して喋りが全く面白くない上に「巨大化しか出来ないアントマン」という汎用性のない能力しか持たないザコとこの手の映画で一番引きのないシンプルな「風」の能力を使うヒーローという四人組がJSAなのだが、ヒーロー映画好きの本作の観客は彼らの上位互換を何人も取り揃えた「アベンジャーズ」を当然鑑賞済みなのでやはりこのJSAに魅力を感じる筈がない。公開前トレーラーで彼らの概要を知った上で予想するその顛末は「序盤でブラックアダムに軽くあしらわれて終わり、ブラックアダムの強さを描写する為の噛ませ犬」なのだが恐るべき事にこの映画は半分は彼らの物語だ。MCUフェーズ4の今如何なる観客の興味も引きようの無い、冗談のようにダサいビジュアルでショボい能力しか持たない彼らの昨日考えたような薄っぺらい、一切脈絡のない人間関係やヒーローとしての葛藤、過去話等を延々と見せられる筋書きには「セルフパロディ的なボケかな?」「意外な大落ちへの前フリなのでは!?」等と淡い期待を抱いてしまうがエンドロールまでそれは叶えられず、「やっぱDCは頭おかしいんだな」と結論付ける他ない。


Ⅴ:うるせえ黙れ

✔ あまりにマーベルヒーロー丸パクリな「ホークマン」「ドクター・フェイト」だがその元となっている「ファルコン」「ドクター・ストレンジ」と各々のコミックへの初登場時期を比べると、実はDC勢の方が圧倒的に早い。

ファルコンやドクター・ストレンジがマーベル発刊のコミックに初めて登場したのは1960年代の事だがホークマンやドクター・フェイトは何とその20年も前の1940年、我が偉大なる大日本帝国海軍による真珠湾攻撃の前年という大昔に登場している。要するに「DCつまんねえ上にマーベルのパクリまでやんのかよ」という認識は全くの逆で、DCの産み出したキャラをポップでウケ易く改変して我が物として売り出していたのがマーベルで、要するにパクっていたのはDCではなくマーベルの方だったという訳だ。

「デッドプール(本名ウェイド・ウィルソン)」に「デス・ストローク(本名スレイド・ウィルソン)」、「サノス」に「ダークサイド」、「ホークアイ」に「グリーンアロー」、「ブラックキャット」に「キャットウーマン」、「クイックシルバー」に「フラッシュ」、「ブルズアイ」に「デッドショット」、そして「アベンジャーズ」に「ジャスティス・リーグ」…マーベルとDCに酷似するキャラ・団体の組み合わせは数あれどそのほとんどでDCキャラの方が先に自社コミックスに登場している。JSAという農協の略称みたいなダサい名前のヒーローチームだってアベンジャーズはおろか自社のジャスティス・リーグより20年も前、1940年に初登場した由緒正しき団体なのだ。

本作での余りに大胆な「マーベルライクなキャラクター」「セルフパロディ的なヒーローチーム」は製作陣による「どっかで見たアレやコレやに似てるだろう?調べてみな?調べてみなよ!こっちが本家だからさァ!」という挑戦心や主義主張のような物を感じるがうるせえ黙れとしか思えない。

こういうパクりパクられのせめぎ合いは映画のみならず様々な創作物の世界で常々繰り広げられているがパクった側が顧客を満足させられる出来の物を上げてきた場合他所様の発想をパクった事に関しては基本的に問題にならない。

「たまごっち」から「デジモン」が生まれた事、「モンスターハンター」は「GOD EATER」や「討鬼伝」に派生し、「戦国無双」と「戦国BASARA」はかつて肩を並べシリーズが進行する毎にパクりパクられを繰り返し「ドロヘドロ」、松本大洋、弐瓶勉をふんだんに吸収してどう考えてもPSPの隠れた名タイトル「煉獄」を既プレイのオタク君が描いた「チェンソーマン」は大ヒットでアニメ化御礼、冨樫の休み癖のおかげで「ハンター成分」を欲している読者に受け入れられた「呪術廻戦」、「ワンパンマン」を皮切りに脳筋×能力無しの主人公が能力前提の世界で大活躍する漫画作品群が連続ヒット…この全ての例においてパクった、つまり後から製作された側がその事自体で追及された事はない。パクった事を槍玉に挙げられて執拗に叩かれるのは「ONE PIECE」を「ツギハギ漂流作家」がパクったような、つまり着想を拝借した癖に本家を激しく下回る様な出来に作品が仕上がってしまったような場合だけだ。

創作物の世界においては発想元の所在などさしたる問題ではなく「面白いか面白くないか」こそが絶対の正義なのだ。その原理を知っている私から見れば一般のライト映画ウォッチャーが「DC、マーベルパクるなんて最低だよね」と論じている様子は痛快極まりない。面白くないからあらぬ罪まで被せられて糾弾される、どっちが本家かに言及しようなんて的外れもいい所だ。言いたい事があるなら客が興味を持って自発的に調べてくれる程に魅力的で引きのある物を作ってからに、鑑賞料金2000円弱に値する物を作ってトレーラー詐欺や入場料泥棒から足を洗ってからにしなさいという話だ。この素っ頓狂な的外れ具合からもDCエクステンデッド・ユニバースの製作陣にはまともな人材が存在していないという事が窺い知れる。


Ⅵ:取って付けたセリフ、無理矢理ねじ込んだストーリー

✔ 本作の序盤、ブラックアダムが登場して軍隊の一個師団を撃破する件のアクションシーンのまずさから「もしかして面白くない…?」と映画通なら予感するのではないかと思うが、それを後押しするようにそれ以降のストーリー展開、ブラックアダムとJSAを含む現世の人間達との交流プロット、それに添えられる台詞の数々はどれも類似の映画でありがちな薄っぺらな物ばかりで、その上フリも脈絡も無く唐突に紡がれていくので頭が全く付いて行かない。

例えばブラックアダムの「ブラック見参!悪を成敗!」みたいなキメ台詞はブラックアダムが数千年の眠りから目覚めて初めて出会い、作中で親交を築く男児が発案した物だがこの「筋骨隆々の危険とされている男に純真無垢な男児が今風の言葉を教え込んでいく」というプロットは「ターミネーター2(1991)」のT-800とジョン・コナーの交流に酷似していて、監督も明らかにその路線を狙っている。

T-800の「地獄で会おうぜ、ベイビー」が胸アツでブラックアダムの「ブラック見参!」が許せないのは二者がその言葉を話すようになるまでの前提的な設定やフリ、丁寧な展開があるか無いかの差だ。前作であんなに恐ろしかったT-800が今回は味方なんだ(緊張からの安堵、期待感)→機械だから疑う事を知らなくて、頭が空っぽだから子供の言う事も素直に吸収しちゃうんだな(アンドロイドである事の前提を踏まえていて自然な流れ、前作とはギャップのある、ある種滑稽な描写で親近感を与え引き込む)→「地獄で会おうぜ、ベイビー」キメ台詞にして言っちゃってるよww(フリを丁寧に蒔いた意外性のあるギャグプロット。可愛い可愛い俺らのジョンの味方である事を強調するシーンでもあり前作とのギャップで本当に好きになり、引き込まれる)といった具合に、やはり名作の名シーンは幾つもの成功のメソッドを踏襲してそれ足り得ている。

一方ブラックアダムは自分の生きていた古代とはあまりに様変わりした現代に懐疑的で、そこで生きる現代人達の精神性にも違和感を覚えている様子で、危ない所を救われ保護して貰った恩があるにも関わらず主人公家族に対して親近感を覚えている様子や心を許している様子がなく(そういった描写が特にない)「悪人はその家族まで始末して根絶やしにすべし」「暴力は如何なる時も必須でそれを教えるのが父親の役目」等というポリコレとコンプラ全開の現代では考えられないような思想を固持していて、スクリーンのこちら側から見ても取っつきにくく、厄介で危険な人物に見える。

だからしかめ面で煩そうに関わりを避けていた子供が「ヒーローなんだからキメ台詞作ろうよ!ブラック見参!とかさ」と軽くはしゃいだのを謎に真に受けて戦闘の際に初めて「ブラック見参!」とブラックアダムが嘶くシーンはあまりに唐突で不自然で、物凄く気持ちが悪い。ブラックアダムが「ブラック見参!」と間抜けなキメ台詞を吐くに至る要素が作中のそれまでに一切無い、と言うか「キメ台詞なんて物は頑として吐かない」要素をむしろ積み重ねてそこに至っているのでその瞬間のドウェイン・ジョンソンは操り人形のように不自然で、困惑するしかない。

それ以降もこの映画は前提やフリを完全に無視した展開を延々と繰り返すので誰にも付いて行きようのない代物に仕上がっているのだが、JSAの面々のキャラの掘り下げや人間関係、内なる葛藤等の描写はその中でも特に酷い。彼らはそもそも観客の興味を引く要素を一切持っていない、ブラックアダムの噛ませ犬となって消えるのが相当な程度のキャラ達だ。「必要ない」「誰も興味ない」「彼らにまつわる今後の何もかもに一切期待が持てない」人間達であるという「前提」や「フリ」と真逆の「スポットを当てる」という行いをしていい映画に仕上がる筈がない。「今日はいい日だ…死ぬには相応しい」みたいにピアース・イケお爺が黄昏ていても「いいからさっさと死n…亡でも何でもいいから退場してくんないかなブラックアダムが見たくて金払ってんだよねこっちww(ヒクヒク)」と終始イラつかなくてはならない。


Ⅶ:まとめ~DC映画はもうダメだ~

✔ 公開前のトレーラーで大いに期待感を持たせたDCエクステンデッド・ユニバースの最新作「ブラックアダム」はやはり「DCは呪われてる」の汚名を返上する事の叶わない非常に残念な出来の映画だ。頑張っていい所を挙げるとすれば①「冷酷無慈悲な最強の筋肉ヒーロー」にドウェイン・ジョンソンを起用して画的な説得力を最大化する事に成功している事と➁CGを用いたアクションシーンのクオリティだが①スクリーンで見るドウェイン・ジョンソンはトレーラーで見ていた時より頭でっかちで心なしか体が小さく見え、役作りのバルクアップに失敗したのか寄る年波にとうとう負けて筋肉が縮み始めているのか、顔面アップ時のしわっぽさも手伝って少々拍子抜けなビジュアルだし➁アクションシーンについては用いられているCG技術は素晴らしくてもアクションプロット自体に芸が無さ過ぎて全然面白くないのでやはり見所はほぼゼロに近い。わざわざ劇場で鑑賞する価値は誰にとってもないだろう。

DCエクステンデッド・ユニバースに現れた「スーパーマンライク」なヒーローはスーパーマン、シャザム、本作のブラックアダムで3人目で、これも製作陣は一体何を考えているんだと困惑し切りだ。全く違う能力を持ったヒーロー達を集め個性豊かに戦わせるからこういうシリーズは面白いのだが色が違うだけで後は全く同じ、正面からぶつかると勝ち様が無いが特定の鉱石にだけ異常に弱い、こんなのを何人も集めて後々どう面白く展開していくつもりなんだと小一時間説教してやりたい心持ちにさせられる。ふんだんに当てがわれている製作費を少しでもいいからまともな監督や脚本家を雇うような「実や骨の部分」に充てて欲しい、DCエクステンデッド・ユニバースの製作陣に臨むのは只々そればかりだ。

ところで褐色の肌をしたヒーローに「ブラック○○」と名付けるのは最早通例と化しているが名付けられている本人達、彼らと人種を一にする人々は違和感や不快感を覚えないのだろうか。

私だったら東アジア人に日本刀を持たせたヒーローに「イエローサムライ」と名付けられでもしたらぶん殴ってやろうかと思うところだが人種問題に殊更敏感な彼らが「ブラック」というストレート過ぎる表現に異を唱えている様子が無いのは不思議だ。中二病的に「黒は格好いいからセーフ」みたいな感覚が彼らの中にも存在しているのだろうか。


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