【鈍る天才。迷走するDCシリーズに泥の上塗り】
ザック・スナイダー監督は、アメコミを映画化させると天才的に上手い。
原作のテーマを損なわず、作者の意図を正確に捉えて脚本に反映し、コミックの一コマを何倍にも美しく、重厚に表現する映像美は最早芸術作品。
アベンジャーズシリーズ(MCU)のように原作とはかけ離れたストーリー展開を見せるのとは違い、彼は原作の魅力をそのまま何倍にも引き上げて映画化する手腕に優れている。
DCコミックを原作とする映画シリーズ(DCEU)は、ずっと迷走続きである。
映画・コミックファンが懸念する通り、いやそれ以上に、暗く、重く、ダサくてパッとしないヒーロー達、マーベルと比べてしまうせいか変化と意外性に乏しく物足りないストーリー・・・そういったDCコミックに付きまとうイメージをどう処理するか、がDCEU始動当初の最大の課題だった筈だが、残念ながらどうにもなっていない。
世間の、「DCは暗くてダサい。面白くない」のイメージはさらに強まったことだろう。
DCEUにも筋のいい作品がない訳ではない。
無印版の「ジャスティス・リーグ(2017)」は、少々地味ながらもハイスペックなヒーロー達が一同に会して大暴れする、見応えのある娯楽大作である。
ピーターのようにポップで愛嬌のあるフラッシュ、ソーの海版アクアマン、ブラックウィドウのように強く賢い女ヒーローワンダーウーマンと、ライバル作品からいい所を盗み、ついでに監督も拝借して作られたこの作品は、MCUの作品と作品の繋ぎとしては申し分ない出来であった。
「ザ・スーサイド・スクワッド”極”悪党、集結(2021)」もかなりいい。
スナイダーとは違ったタイプのアメコミ映像化の天才、ジェームズ・ガンが手掛けるポップでダイナミックな超大作で、監督がMCUから持ち込んだキャストやノウハウを駆使して繰り出される「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」的なノリが最高に楽しい。
要するにDCEUは、自力で面白くなる事がどうしても出来ずに、長年迷走を繰り返した挙句、ライバルであるMCUの出張所に成り下がってしまったのだ。
この「ザック・スナイダーカット」を見るとまだ「そうはなるまい、なんとかDC独自の路線でこの先の展開を」と足掻いている様子が見て取れる。
だがそうして、無印版「ジャスティスリーグ」に対して改変し、付け加えられたシーンはどれも大袈裟でだらだらしている上に中身が無く、作品の出来を大きくスポイルしている。
無印版は少々の粗を除けば誰にでも勧められる良作だったが、これは誰にも勧められない。
無印版以上のキャラの深堀りなんか誰も求めていないし、サノスの劣化版みたいなラスボスはサノスの劣化版みたいな立ち回りしかしてくれなさそうだし、スーパーマンを悪役に振る最終局面は、スーパーマンというDCのダサさと華の無さの象徴にフォーカスを当てる事になるので愚策の極みである。
紆余曲折あって最終的に組む事になる面子はアクアマンの弱体版に武器が一個増えたサイボーグ、衣装替えしてスタイリッシュさを失ったフラッシュ、銃を持ったおじさん・・・
こんなんじゃ誰の胸も躍らない。
DCEUはもっと、観客がパッと観てパッと引き込まれるような画作り、映画作りを心掛けるべきである。
「いやいやよく見て、一見ダサいけどみんな意外と強いんだよ。さらに重厚な人間ドラマと哲学がね・・」とかやっている場合ではないのだ。
重くても暗くても観る者を一瞬で引き込んで、上映終了まで離さない作品はいくらでもある。DCEUを始動してからこちら側、一度もそのクオリティに達する製作が成されていない、体たらくを晒している、というだけの話なのだ。
「スナイダーカット」と聞いて「300」や「ウォッチメン」をイメージして小躍りした殿方にはお気の毒だが、本作はその二作より「エンジェルウォーズ」や「マン・オブ・スティール」に近い、ザック・スナイダーのよくない部分が強調された、無印版の劣化作品となっている。
DCEUに関する知識をさらに得たい、という目的以外で視聴する意味は全くないだろう。
本作の目玉の一つである追加要素「ジャレッドジョーカー」に関しては一見の価値があるかも知れない。ヒースと違い、怪しく静かなジョーカーを演じるジャレッド・レトの演技はかなりいい。
だがその一要素のために、「ジャスティスリーグ」シリーズの今後に期待するかと言えばやはりノーだし、実際シリーズの続行は難しいだろう。